前回までのお話を、私見も絡めてまとめると…。
ファイターはリスクとリターンを考えて試合に臨むのは当然です。しかし、敗北を極度に恐れてファンが期待するマッチアップを敬遠したり、「何がなんでも勝つ」ではなく「何がなんでも負けない」つまらないスタイルに凝り固まると人気は出ません。
しかし「フロイド・メイウェザー」という史上最悪のサンプルが、特にアフリカ系米国人をミスリードするケースが見受けられます。
まずボクシングは、没落しているスポーツです。どんどんマイナーに、どんどんマニアックな色合いを濃くして一般のスポーツファンからは認知されない地下深くに潜り込んでしまっているのです。
さらに、アフリカ系米国人は社会的地位が向上、往年のようにボクシングが身近なスポーツではなくなっているのです。
多くの母親にとってはボクシングは選んで欲しくないスポーツで、人気のある球技に才能が流れていますが、それでも世界ヘビー級チャンピオンはアフリカ系米国人にとって最強で最高の英雄だった時代がありました。
アフリカ系アメリカ人は、過去と同じことをやっていてはいけないのです。

Promoters don't often work together
プロモーターは互いに反目しあう。
現在の米国プロボクシングの世界は、4つのプロモーターが3つのネットワークと業務提携を結び、3つのグループに分割されています。
ESPNはトップランク、DAZNはマッチルームとゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)、ショータイムはプレミア・ボクシング・チャンピオンズ(PBC)。
彼らは、自分たちが囲い込んだ選手でイベントを作り、ライバルのプロモーター傘下の選手と戦わせることはまずありません。
もしそういった交流を行うと、収益をどう分け合うかという問題が生じます。そして、そもそもどちらネットワークで放送するのか?
自分たちだけで興行を打っていた方が儲かるなら、交流にビジネス的な意味はありません。
また、当たり前の話ですが、彼らはライバル関係にあり、互いにいがみ合っています。
商業的に意味が薄く、互いに反目し合っている…プロモーターやネットワークを超えたマッチメイクが成立しないのは当然です。
それでも、今年はガーボンタ・デービスとライアン・ガルシアの試合ではアル・ヘイモン(PBC)とオスカー・デラホーヤ(GBP)が一時的に提携しました。
2002年にはレノックス・ルイスとマイク・タイソン、2015年にはフロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオ、2017年にはアンソニー・ジョシュアとウラジミール・クリチコのメガファイトがHBOとショータイムのPPVで同時生中継されています。
2020〜2021年にわたって行われたタイソン・フューリーとデオンティ・ワイルダーの三部作の第2、第3戦もESPNとFOX の共同PPV。
ファンの要求が大きく、莫大な収益を生み出すメガファイトなら、商業的意味が発生し、彼らは一時的に互いに向ける憎悪を忘れることができるのです。
Details matter
問題はカネ。しかし、金だけじゃない。
現代のメガファイト、たとえばカネロ・アルバレスの試合を見ればわかるように、メキシコ音楽を奏でるマリアッチバンド、花火、ミュージシャンのパフォーマンスなど長い前奏が付き物です。
さらに、Bサイドのボクサーは先にリングインするので、Aサイドのボクサーが入場するまでかなりの時間を待たされてしまいます。
しかし、王者同士の戦いとなると、そうはいきません。「どちらが先に入場するか?」は些細なことに聞こえますが、「どちらが待たされるか」なら少しニュアンスが変わってきます。
瑣末な問題の例では、2014年にWBCミドル級王者セルヒオ・マルチネスに挑戦するミゲール・コットがイベントのタイトルを「コットvsマルティネス」と挑戦者を先にすることを主張。王者にも関わらずBサイドのアルゼンチン人は、これを受け入れました。
オレキサンデル・ウシクとフューリーの試合が決裂したのは、再戦条項での報酬の分配でした。
初戦で3−7の分配を受け入れたウシクは、再戦で7−3を要求、ここでフューリーは交渉の席を蹴りました。
「Bサイドの分際で何を偉そうに!」ということです。
カネロとゲンナジー・ゴロフキンの対決が引き延ばされた最大の要因は、カネロ陣営がGGGの衰えを待っていたということです。しかし、当初の交渉で王者GGGが報酬の分配で挑戦者カネロに大幅に譲歩することを受け入れられなかったのも一因です。
カネロからしたら「俺と戦うだけでキャリアハイの何十倍も儲かるのに、お前は何様なんだ?」ということです。
他のスポーツでは、勝者がより多くの報酬を手にします。決勝戦を戦う前から報酬の分配が決まっているなんてことはあり得ません。
Aサイド、Bサイドなんて、およそスポーツの概念から程遠いワードが跳梁するのもこのスポーツの闇です。
相手陣営の見ている前で開封するルールのグローブを、勝手に開けて試していても井上尚弥なら不問、ドネアのクレームはカネで解決したのでしょうか。井上はAサイドの傲慢で好き勝手しているのではなく、おそらくそのルールを知らず、今までもやっていたはずです。
「え?ダメなの?」という感じだったんでしょう。
フロイド・メイウェザーはオスカー・デラホーヤとのメガファイトで、グローブやウエイトでデラホーヤ寄りの条件を丸飲みしました。キャリアハイの3倍の報酬、さらにデラホーヤというビッグネームとの対戦。
勝つ自信があったメイウェザーにとって「ビジネスとして成立する」試合だったのです。この本人の言葉を借りれば、全盛期のコットやアントニオ・マルガリートとの試合は報酬こそキャリアハイが期待できても、負けるリスクが高かったから「ビジネスとして成立しない」と言い放ったのでしょう。
カネロとの試合で、ビリー・ジョー・サンダースは「リングの一辺を2フィート広げなければ契約書にサインしない」と要求、カネロが二つ返事でこれを受け入れた理由は二つ。サンダースのWBOのストラップをコレクションに加えたかったことと、サンダースを破壊する自信があったからです。
ジュニアフェザー級以下の井上らの対戦相手は「日本で戦う以外の選択肢はない」(ノニト・ドネア)というビジネス上の絶対的事実から、条件面での綱引きは「日本側がどこまで譲歩してあげるか」の問題。
ファイター同士のプライドと金銭欲、そしてプロモーターとネットワークの対立と算盤勘定…。
ファンが見たい試合には、いくつもの障害物が立ち塞がり、成立しないこと、成立してもベストのタイミングを逸することが当たり前になっています。
そして、ボクシングは低迷と没落の谷底へ深く沈んでいくのです。
このスポーツが米国で再び陽の目を見ることが、たった1試合でもあるでしょうか?
ファイターはリスクとリターンを考えて試合に臨むのは当然です。しかし、敗北を極度に恐れてファンが期待するマッチアップを敬遠したり、「何がなんでも勝つ」ではなく「何がなんでも負けない」つまらないスタイルに凝り固まると人気は出ません。
しかし「フロイド・メイウェザー」という史上最悪のサンプルが、特にアフリカ系米国人をミスリードするケースが見受けられます。
まずボクシングは、没落しているスポーツです。どんどんマイナーに、どんどんマニアックな色合いを濃くして一般のスポーツファンからは認知されない地下深くに潜り込んでしまっているのです。
さらに、アフリカ系米国人は社会的地位が向上、往年のようにボクシングが身近なスポーツではなくなっているのです。
多くの母親にとってはボクシングは選んで欲しくないスポーツで、人気のある球技に才能が流れていますが、それでも世界ヘビー級チャンピオンはアフリカ系米国人にとって最強で最高の英雄だった時代がありました。
アフリカ系アメリカ人は、過去と同じことをやっていてはいけないのです。

Promoters don't often work together
プロモーターは互いに反目しあう。
現在の米国プロボクシングの世界は、4つのプロモーターが3つのネットワークと業務提携を結び、3つのグループに分割されています。
ESPNはトップランク、DAZNはマッチルームとゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)、ショータイムはプレミア・ボクシング・チャンピオンズ(PBC)。
彼らは、自分たちが囲い込んだ選手でイベントを作り、ライバルのプロモーター傘下の選手と戦わせることはまずありません。
もしそういった交流を行うと、収益をどう分け合うかという問題が生じます。そして、そもそもどちらネットワークで放送するのか?
自分たちだけで興行を打っていた方が儲かるなら、交流にビジネス的な意味はありません。
また、当たり前の話ですが、彼らはライバル関係にあり、互いにいがみ合っています。
商業的に意味が薄く、互いに反目し合っている…プロモーターやネットワークを超えたマッチメイクが成立しないのは当然です。
それでも、今年はガーボンタ・デービスとライアン・ガルシアの試合ではアル・ヘイモン(PBC)とオスカー・デラホーヤ(GBP)が一時的に提携しました。
2002年にはレノックス・ルイスとマイク・タイソン、2015年にはフロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオ、2017年にはアンソニー・ジョシュアとウラジミール・クリチコのメガファイトがHBOとショータイムのPPVで同時生中継されています。
2020〜2021年にわたって行われたタイソン・フューリーとデオンティ・ワイルダーの三部作の第2、第3戦もESPNとFOX の共同PPV。
ファンの要求が大きく、莫大な収益を生み出すメガファイトなら、商業的意味が発生し、彼らは一時的に互いに向ける憎悪を忘れることができるのです。
Details matter
問題はカネ。しかし、金だけじゃない。
現代のメガファイト、たとえばカネロ・アルバレスの試合を見ればわかるように、メキシコ音楽を奏でるマリアッチバンド、花火、ミュージシャンのパフォーマンスなど長い前奏が付き物です。
さらに、Bサイドのボクサーは先にリングインするので、Aサイドのボクサーが入場するまでかなりの時間を待たされてしまいます。
しかし、王者同士の戦いとなると、そうはいきません。「どちらが先に入場するか?」は些細なことに聞こえますが、「どちらが待たされるか」なら少しニュアンスが変わってきます。
瑣末な問題の例では、2014年にWBCミドル級王者セルヒオ・マルチネスに挑戦するミゲール・コットがイベントのタイトルを「コットvsマルティネス」と挑戦者を先にすることを主張。王者にも関わらずBサイドのアルゼンチン人は、これを受け入れました。
オレキサンデル・ウシクとフューリーの試合が決裂したのは、再戦条項での報酬の分配でした。
初戦で3−7の分配を受け入れたウシクは、再戦で7−3を要求、ここでフューリーは交渉の席を蹴りました。
「Bサイドの分際で何を偉そうに!」ということです。
カネロとゲンナジー・ゴロフキンの対決が引き延ばされた最大の要因は、カネロ陣営がGGGの衰えを待っていたということです。しかし、当初の交渉で王者GGGが報酬の分配で挑戦者カネロに大幅に譲歩することを受け入れられなかったのも一因です。
カネロからしたら「俺と戦うだけでキャリアハイの何十倍も儲かるのに、お前は何様なんだ?」ということです。
他のスポーツでは、勝者がより多くの報酬を手にします。決勝戦を戦う前から報酬の分配が決まっているなんてことはあり得ません。
Aサイド、Bサイドなんて、およそスポーツの概念から程遠いワードが跳梁するのもこのスポーツの闇です。
相手陣営の見ている前で開封するルールのグローブを、勝手に開けて試していても井上尚弥なら不問、ドネアのクレームはカネで解決したのでしょうか。井上はAサイドの傲慢で好き勝手しているのではなく、おそらくそのルールを知らず、今までもやっていたはずです。
「え?ダメなの?」という感じだったんでしょう。
フロイド・メイウェザーはオスカー・デラホーヤとのメガファイトで、グローブやウエイトでデラホーヤ寄りの条件を丸飲みしました。キャリアハイの3倍の報酬、さらにデラホーヤというビッグネームとの対戦。
勝つ自信があったメイウェザーにとって「ビジネスとして成立する」試合だったのです。この本人の言葉を借りれば、全盛期のコットやアントニオ・マルガリートとの試合は報酬こそキャリアハイが期待できても、負けるリスクが高かったから「ビジネスとして成立しない」と言い放ったのでしょう。
カネロとの試合で、ビリー・ジョー・サンダースは「リングの一辺を2フィート広げなければ契約書にサインしない」と要求、カネロが二つ返事でこれを受け入れた理由は二つ。サンダースのWBOのストラップをコレクションに加えたかったことと、サンダースを破壊する自信があったからです。
ジュニアフェザー級以下の井上らの対戦相手は「日本で戦う以外の選択肢はない」(ノニト・ドネア)というビジネス上の絶対的事実から、条件面での綱引きは「日本側がどこまで譲歩してあげるか」の問題。
ファイター同士のプライドと金銭欲、そしてプロモーターとネットワークの対立と算盤勘定…。
ファンが見たい試合には、いくつもの障害物が立ち塞がり、成立しないこと、成立してもベストのタイミングを逸することが当たり前になっています。
そして、ボクシングは低迷と没落の谷底へ深く沈んでいくのです。
このスポーツが米国で再び陽の目を見ることが、たった1試合でもあるでしょうか?
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