高校時代の目標シートの真ん中は「ドラ1  8球団」でした。

その周りには「スピード 160km/h」「コントロール」「変化球」など投手としての要素が書き込まれていますが、打者視点の目標は一切見当たりません。

もちろん「プロで二刀流をやりたい」という思いは、どこからも読み取ることが出来ません。

彼は「変節」したのです。

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「スピード 160km/h」を突き抜けた頃には「ドラ1  8球団」の最終目標は、「卒業して即メジャーリーグ」と大きく路線変更されます。

そして「日本の球団には行かないのでドラフトでは指名しないで」と宣言。

その決意の固さと、MLB全30球団が〝花巻詣で〟をしていたことから、日本の球団は獲得を断念します。

たった1球団を除いて。

北海道日本ハムファイターズは、かつて「巨人一筋」を表明していた菅野智之を強行指名するも獲得にいたらなかったしっぱなし例がありました。

ファイターズの「ドラフトでは獲得できる選手ではなく最も高く評価している選手を指名する」というロマンティシズムは、中学生の恋愛でもあるまいしと笑う人もいました。

大谷翔平の強行指名も失敗に終わると、誰もが確信していました。

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ファイターズが作成した、日本で最も有名なプレゼン資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」も、「MLBで大きな成功を収めているのはNPBで実績を残して渡米した選手だけ」など、その内容は誰でも知っているようなことばかりでした。

つまり、大谷翔平もよくわかっていたこと。彼の性格から「誰もやっていないことに挑戦して成功してやる」と考えていたはずです。

誤解を承知で書くと、他の球団でも作成できるあのプレゼン資料で、大谷が説き伏せられたとは考えられません。

彼の心を動かしたのが、二刀流を認める、その約束だったことは明らかです。

「ドラ1  8球団」。〝どこにでもいる〟エリート高校野球選手が思い描く〝ありきたりの〟夢しか持っていなかった大谷翔平が、どこでどう〝間違って〟米国スポーツ界を震撼させるユニコーンになったのでしょうか?