青春時代を青かったりブルーだったり、揺れうごいたり、突き進んだり、立ち止まったりする、20歳前後だとするなら、YMOは間違いなく私の青春時代の1ページでした。



私は「青春時代」ほど、いい加減な定義はないと思ってきました。

80歳を過ぎて青春を迎える人も、それこそあちこちにいるでしょう。

あるいは、何度も青春時代を楽しんでいる人、一生青春時代の人だっているでしょう。

私も、結婚して子供が産まれて、子供と成長する日々も自分の青春時代だったと思います。

もちろん、「青春時代」を、多くの価値観を共有(あるいは反目)できる同年代と過ごした日々」と定義するなら、「子育て(この言葉は嫌いですが、それはまた別の機会で)」は、核家族が当たり前の現代では夫婦でしか共有できませんが、やはりそれも青春時代だと思います。

そして、青春時代の友達、と考えると「誰かが亡くなったとき、その死を一緒に悲しむことができる、そんな時代を共有した人」のことかもしれないとも、思いました。

坂本龍一と同じ時代を生きた人たちは、一人残らず私の「青春時代」の友達です。

青春時代のアイコンが天国に行ってしまうのは、これはやっぱり、当たり前に、胸の中にぽっかり穴が空くような、寂しい気持ちになってしまいます。