ボクマガ青春情熱物語。

1987年のボクシングシーン。すでにIBFは発足していたものの、JBCはWBAとWBCの2団体しか認めず、階級は15クラス、つまり世界チャンピオンが30人しかいなかった時代です。

30人の世界チャンピオンの名前を諳んじることが出来るファンも珍しくありませんでした。 

4団体17階級というだけでなく、スーパーやフランチャイズ、ダイヤモンド…さまざまな名称の世界チャンピオンが跳梁跋扈、安易なタイトル返上と複数階級制覇が当たり前の現代では、タイトルが多いだけでなく、あまりにも目まぐるしく王者が変わります。

世界タイトルの数が多すぎて記憶できないというよりも、王者がコロコロ変わるから覚える気がしない、覚える意味が見出せない、というのが本音かもしれません。

1987年は、今と比べると、世界タイトルにはるかに権威があった時代でした。

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ボクシングマガジン1987年11月号の表紙は、日本バンタム級タイトルマッチでパンチを交錯させる王者の高橋直人と、挑戦者の小林智昭。

12戦全勝8KO、負けを知らない19歳の王者は、これが2度目の防衛戦。

デビューから5試合を2勝3敗と苦闘した挑戦者は8連勝中、10勝4KO3敗と一発のパンチはないものの、スパーリングパートナーを務めた畑中清詞が「タフで勢いがある」と認めた叩き上げの実力派でした。

試合は日本テレビ系列で生中継。今里光男からタイトルを奪った試合、その今里を返り討ちにした初防衛戦も日テレが生中継しました。

日本タイトルマッチが生中継、これは当時でも異例の扱いです。

高橋直人の存在がどれほど大きかったかが、よくわかると思います。

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https://www.tokyo-dome.co.jp/hall/archives/interview/takahashi/


高橋に畑中、アイドル福田健吾、島田紳助が支援した浅川誠司、甘いマスクと強打の飯泉健二…。

あの頃のリングは、何人もの「あしたのジョー」たちが躍動していました。

世界王者になったのは畑中だけでしたが、多くの人が火傷するほど熱く共鳴していたのは、世界を目指して駆け上がる若者たちの姿だったように思います。



小林の乱打戦に巻き込まれて初黒星を喫した高橋は、世界を目指して小林が返上したタイトルを島袋忠と争いますが、痛烈なKO負け。

そして、ジュニアフェザー級にクラスを上げたのを契機にリングネームを「高橋ナオト」に変更すると、命のやり取りをするかのようなカウンターに溺れながら、スリリングな試合を繰り返してゆきます。

マーク堀越と、ノリー・ジョッキージム初戦との真剣で差し違えるような試合は、いずれも信じられないような大逆転劇でした。



多くの人の心を震わせた高橋が、リングを降りた後も素晴らしい人生を歩んでくれていることを願ってやみません。