ボクシング史上最大のメガファイトは、ご存知のように、単価100ドルのPPVを460万件売り上げた「フロイド・メイウェザーvsマニー・パッキャオ」(2015年5月)です。
現代のスーパースター、カネロ・アルバレスのPPVは直近のドミトリー・ビボル戦で52万件…この数字だけ聞くと「那須川天心vs武尊とどっこいかよ!」とズッコケますが、DAZNやAmazonプライムのような定額視聴者が基本のプラットフォームと、かつてのHBOのようなPPVは同列に比べることは出来ません。
カネロがマークした最高セールスは、まだネット配信が主流ではなかった2013年のフロイド・メイウェザー戦の220万件です。
そして、この試合からカネロは大きな影響を受けました。
カネロにとってはプロ初黒星。無敗レコードは止められましたが、メディアやファンは「23歳のカネロにとって素晴らしいレッスンになった」と好意的にとらえました。
2-0、マジョリティデジションの判定は非難轟々※でしたが、アンダードッグで上がったリングでの判定負け。キャリア後半のメイウェザーの対戦相手のほぼ全てがそうだったように肉体的なダメージはほとんどありませんでした。
※あの試合がドローに見えたCJロス女史は前年にもマニー・パッキャオvsティモシー・ブラッドリー第1戦をブラッドリー勝利をスコア「お前が座るのはジャッジ席ではなく目医者の前。すぐに眼科に直行しろ」と世界中から罵倒されていました。それなのに、またしてもメガファイトで素っ頓狂なスコアリングをしたことで引退。
フシ穴採点は117-111(9-3)でしたが、116-112(8-4)でも納得。ただ、どう贔屓目に見てもカネロが5ラウンド獲った(115-113)はありません。114-114(6−6)でも目医者直行です。
そして、稀代のディフェンスマスターから受けた36分間の特別授業によって、カネロの防御への意識と技術は格段に進歩します。
メキシコボクシング界の主神フリオ・セサール・チャベスのように攻撃的に見えながら、激しい打撃戦・被弾は極力回避する、新しいメキシカンスタイルを確立したカネロ。
メイウェザー戦までのキャリアで浮かび上がった課題は、メイウェザーやエリスランディ・ララのようなディフェンス偏重のボクサーを攻めきれないことでした。
その課題の満点解答が、現在のカネロのスタイルなのです。
スーパーミドル級完全統一のプロセスではカラム・スミス、ビリー・ジョー・サンダース、ケイレブ・プラントと、ディフェンスに定評のあるライバル王者をことごとく破壊してみせました。
強烈なメイウェザー体験が、あのスタイルを生み出したのです。
しかし…。カネロが抱えていたのは〝メイウェザー&ララ問題〟だけではありません。
そのキャリアを通して、旬の強打者を徹底的に回避してきたツケは強打者とは言えないボクサーファイターのビボルのリターンを容易に受け、旬の強打者とは到底いえないゲンナジー・ゴロフキンにも攻め込まれるシーンを作ってしまいました。
ビボル戦はリング誌の専門家予想で20人中19人がカネロの勝利を支持、残る1人は「ボクシングは何が起こるかわからない」と予想を保留。19-0と圧倒的有利と見られていました。
ゴロフキン戦も老いた40歳のミドル級を、スーパーミドル級で無双する全盛期のカネロが残酷にノックアウトするというのが大方の下馬評でした。
そもそもカネロのスタイルは〝メイウェザー&ララ〟にはキラーぶりを発揮しても、攻撃力のある相手には機能不全に陥る欠点を孕んでいたのかもしれません。
もちろん、カネロはジュニアミドル級で世界王者になり、ミドルとスーパーミドル級でゴロフキンと36ラウンドを戦い、ライトヘビー級のビボルとも勇敢に戦いました。
21ポンドのスパンでトップ戦線を牽引したのです。ここ10年のボクシングシーンでは、間違いなく傑出した偉業です。
「完全無欠のファイターなど存在しない」。それが真実であるならば、どのファイターにも得手不得手があります。
23歳のカネロにとって、大きなターニングポイントとなったメイウェザーとの「THE ONE」。
あの試合が契機となって完成させたスタイルが、ビボルとゴロフキンを持て余した結果に繋がったというのは仮説に過ぎません。
メイウェザー体験からディフェンシブなボクサーを崩す方法論を考え、あのスタイルを確立させたというのは事実に近いはずですが、メイウェザー体験がなければビボルやゴロフキン3にオッズや専門家予想の通りに圧勝していたかどうかは誰にもわかりません。
むしろ、メイウェザー体験がなければ、ゴロフキン初戦で痛烈にKOされていたかもしれません。
そのアナザーワールドではビボルとの一戦はもちろん、セルゲイ・コバレフに挑んだライトヘビー級進出もなく、ジュニアミドル級に引き返して粛々と防衛戦を重ねていたかもしれません。
「THE ONE」。当時、史上最大の興行となったメガファイト。
その2年後にはダブルスコア以上の差をつけられて、興行No. 1の座から転がり落ちてしまいます。
しかし、北米各都市をサーキットしたプロモーショナルツアーに 、ファンを煽り続けた戦前の記者会見。
「メイパック」は、急転直下で決まったためにプロモーショナルツアーは実質ほとんどありませんでした。
「THE ONE」とは何だったのか?
空前のメガファイトを振り返り、カネロ・アルバレスの実像に迫ります。
現代のスーパースター、カネロ・アルバレスのPPVは直近のドミトリー・ビボル戦で52万件…この数字だけ聞くと「那須川天心vs武尊とどっこいかよ!」とズッコケますが、DAZNやAmazonプライムのような定額視聴者が基本のプラットフォームと、かつてのHBOのようなPPVは同列に比べることは出来ません。
カネロがマークした最高セールスは、まだネット配信が主流ではなかった2013年のフロイド・メイウェザー戦の220万件です。
そして、この試合からカネロは大きな影響を受けました。
カネロにとってはプロ初黒星。無敗レコードは止められましたが、メディアやファンは「23歳のカネロにとって素晴らしいレッスンになった」と好意的にとらえました。
2-0、マジョリティデジションの判定は非難轟々※でしたが、アンダードッグで上がったリングでの判定負け。キャリア後半のメイウェザーの対戦相手のほぼ全てがそうだったように肉体的なダメージはほとんどありませんでした。
※あの試合がドローに見えたCJロス女史は前年にもマニー・パッキャオvsティモシー・ブラッドリー第1戦をブラッドリー勝利をスコア「お前が座るのはジャッジ席ではなく目医者の前。すぐに眼科に直行しろ」と世界中から罵倒されていました。それなのに、またしてもメガファイトで素っ頓狂なスコアリングをしたことで引退。
フシ穴採点は117-111(9-3)でしたが、116-112(8-4)でも納得。ただ、どう贔屓目に見てもカネロが5ラウンド獲った(115-113)はありません。114-114(6−6)でも目医者直行です。
そして、稀代のディフェンスマスターから受けた36分間の特別授業によって、カネロの防御への意識と技術は格段に進歩します。
メキシコボクシング界の主神フリオ・セサール・チャベスのように攻撃的に見えながら、激しい打撃戦・被弾は極力回避する、新しいメキシカンスタイルを確立したカネロ。
メイウェザー戦までのキャリアで浮かび上がった課題は、メイウェザーやエリスランディ・ララのようなディフェンス偏重のボクサーを攻めきれないことでした。
その課題の満点解答が、現在のカネロのスタイルなのです。
スーパーミドル級完全統一のプロセスではカラム・スミス、ビリー・ジョー・サンダース、ケイレブ・プラントと、ディフェンスに定評のあるライバル王者をことごとく破壊してみせました。
強烈なメイウェザー体験が、あのスタイルを生み出したのです。
しかし…。カネロが抱えていたのは〝メイウェザー&ララ問題〟だけではありません。
そのキャリアを通して、旬の強打者を徹底的に回避してきたツケは強打者とは言えないボクサーファイターのビボルのリターンを容易に受け、旬の強打者とは到底いえないゲンナジー・ゴロフキンにも攻め込まれるシーンを作ってしまいました。
ビボル戦はリング誌の専門家予想で20人中19人がカネロの勝利を支持、残る1人は「ボクシングは何が起こるかわからない」と予想を保留。19-0と圧倒的有利と見られていました。
ゴロフキン戦も老いた40歳のミドル級を、スーパーミドル級で無双する全盛期のカネロが残酷にノックアウトするというのが大方の下馬評でした。
そもそもカネロのスタイルは〝メイウェザー&ララ〟にはキラーぶりを発揮しても、攻撃力のある相手には機能不全に陥る欠点を孕んでいたのかもしれません。
もちろん、カネロはジュニアミドル級で世界王者になり、ミドルとスーパーミドル級でゴロフキンと36ラウンドを戦い、ライトヘビー級のビボルとも勇敢に戦いました。
21ポンドのスパンでトップ戦線を牽引したのです。ここ10年のボクシングシーンでは、間違いなく傑出した偉業です。
「完全無欠のファイターなど存在しない」。それが真実であるならば、どのファイターにも得手不得手があります。
23歳のカネロにとって、大きなターニングポイントとなったメイウェザーとの「THE ONE」。
あの試合が契機となって完成させたスタイルが、ビボルとゴロフキンを持て余した結果に繋がったというのは仮説に過ぎません。
メイウェザー体験からディフェンシブなボクサーを崩す方法論を考え、あのスタイルを確立させたというのは事実に近いはずですが、メイウェザー体験がなければビボルやゴロフキン3にオッズや専門家予想の通りに圧勝していたかどうかは誰にもわかりません。
むしろ、メイウェザー体験がなければ、ゴロフキン初戦で痛烈にKOされていたかもしれません。
そのアナザーワールドではビボルとの一戦はもちろん、セルゲイ・コバレフに挑んだライトヘビー級進出もなく、ジュニアミドル級に引き返して粛々と防衛戦を重ねていたかもしれません。
「THE ONE」。当時、史上最大の興行となったメガファイト。
その2年後にはダブルスコア以上の差をつけられて、興行No. 1の座から転がり落ちてしまいます。
しかし、北米各都市をサーキットしたプロモーショナルツアーに 、ファンを煽り続けた戦前の記者会見。
「メイパック」は、急転直下で決まったためにプロモーショナルツアーは実質ほとんどありませんでした。
「THE ONE」とは何だったのか?
空前のメガファイトを振り返り、カネロ・アルバレスの実像に迫ります。


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