亀田興毅は2003年12月のデビューから2015年10月までの12年間、リングに立ち続けました。

最後の試合はイリノイ州シカゴのUICパビリオンで河野公平のWBAジュニアバンタム級タイトルに挑戦。ダウンを奪われた末の完敗でした。

まだ28歳の若さでしたが、デビューした年齢が17歳だったということ、キャリアの大半で吹き荒れた理不尽な亀田バッシングの矢面に立ち続けたことを考えると、心身共に大きな疲労が蓄積していたのは間違いありません。

生涯戦績は33勝18KO2敗。素晴らしい数字です。

この間、ジュニアフライ級とフライ級、バンタム級の3階級でアルファベットタイトルを獲得、日本初の3階級制覇を果たしました。

対戦相手の質という問題は一旦置いても、世界戦14試合を戦い12勝2敗、12勝のうちKOはわずか二つと、その非力さには目を覆うばかり。

空位のWBAジュニアフライ級王座を争ったファン・ランダエタ戦までは11戦全勝10KOでしたが「亀田とKOはセットや!」の大見得は冗談にしてもタチが悪すぎます。

そして、対戦相手の質、誰に勝ったのかという点では…殿堂クラスやPFPファイターの名前は、もちろん見当たりません。

ただ、それはほとんど全ての日本人ボクサーに共通していることで、現代で最も高い評価を集める井上尚弥ですら殿堂クラスは晩年のノニト・ドネアだけ、PFPファイターは一人もいません。

この手の話になるとマニー・パッキャオの変態にも程がある対戦相手の質の高さが取り沙汰されますが、パッキャオと日本人ボクサーはそもそもの立ち位置が違うのです。

日本のスター選手は、パッキャオが嬉々として踏み込んだ危険な橋を渡る必要などありません。

さて、対戦相手の質が低いと言われる興毅が勝利した最強ボクサーは、間違いなく内藤大助でしょう。

当時PFP9位にランクされていたポンサクレック・ウォンジョンカムから三度目の正直で勝利、WBCのストラップを手にした内藤は6度目の防衛戦で、ついに亀田戦に漕ぎ付けます。

2009年11月29日、さいたまアリーナ(当時)には2万1000人の大観衆が詰めかけました。

「3ラウンドでKOする」と宣言していた興毅は、いざ試合が始まるとボクシングに徹して力む内藤は空転。そして、番狂わせの判定勝ち。 

初防衛戦は暫定王座に就いていたポンサクレック。オッズは3-1で興毅が明白に有利。興毅はリング誌1位、ポンサクレックは2位、この団体統一戦には空位のリング誌フライ級タイトルもステイクされます。

また「勝者はPFP10傑に入るだろう」(リング誌ナイジェル・コリンズ編集長)と見られていました。

しかし、結果は2-0のMDで 32歳のタイ人が勝利。PFPは9位に。
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王者返り咲きのポンサクレックは、ソニーボーイ・ハロに大番狂わせでノックアウトされて陥落するまで、PFPランキングを7位まで上昇させました。

それにしてもフィリピン人、大番狂わせ起こしすぎ…。

もし、あの試合で興毅が地元判定で勝利していたら…日本人初のリング誌PFP10傑入りは確実、勝利をつなげていけばトップ5、プリントバージョンの単独カバーもあったかもしれません。

そう考えると「ポンサクレック、よくぞ勝ってくれた」と、なんだかホッとしてしまう自分が恥ずかしい…。

もしかしたら、日本人初のPFP入りは山中慎介でなく、単独カバーも井上尚弥ではなく、興毅で良かったのかもしれません。

その方が、日本のボクシング界の実態や、リング誌や承認団体といった〝世界〟が日本へ擦り寄っている実態が、より浮き彫りになったはずです。