日本人にとって、体のサイズから最も遠いクラスはベビー級です。ここは「獲れなくても仕方がない」。そんな心境です。


そして、どうしても手が届かない憧れのクラスがウェルター級でしょう。

ヘンリー・アームストロング、シュガー・レイ・ロビンソンが卓越したパフォーマンスを披露した時代から、ヘビー級を凌ぐメガファイトを繰り広げたシュガー・レイ・レナード、オスカー・デラホーヤ、フロイド・メイウェザー、マニー・パッキャオ。

日本人でも戦えるはずのフレームのウェルター級で躍動するスーパースターは、私たちは羨望と嫉妬の眼差しで見つめるしかありませんでした。

この147ポンド級に最初に挑んだ日本人が辻本章次です。

1976年10月27日、金沢実践倫理記念会館(現・実践倫理宏正会研修会館)。

この年の10月は世界戦が3試合も行われ、その大トリが「WBA世界ウェルター級王者ホセ・ピピノ・クエバスvs辻本章次」でした。

先駆けた2試合は、10月9日の「WBCジュニアフェザー級王者リゴベルト・リアスコvsロイヤル小林」、10月10日の「WBAジュニアフライ級王者ファン・グスマンvs具志堅用高」でした。

具志堅が国民的英雄になった頃にボクシングファンになった私は、当時はまだ野球少年ですらありませんでした。

それでも、当時のウェルター級が現在ほど絢爛のクラスではなかったいうことは容易に想像がつきます。

ウェルター級の王者が日本に来て試合をしたというのに、その熱気がずっと後に高校の図書館などで手にした当時の新聞や雑誌からは全く読み取れなかったのです。

のちにミドル級の世界王者ホルヘ・カストロを日本に引っ張り込みましたが、カストロは大番狂わせでタイトルを獲ったタフネスだけが取り柄の評価も人気も低い、ミドル級では珍しい存在でした。

同じアルゼンチンのセルヒオ・マルチネスが王者になったとき、リング誌などが「カルロス・モンソン以来のミドル級王者」と報道したことからもそれはよくわかります。

しかし、クエバスは階級最強の王者で、カストロとは全く違います。

しかし、当時のボクシングマガジンなどからですら「ウェルター級は特別」というような記述はほとんど見当たらず「日本人にとって重量級(当時は日本視線のフェザーは中量級、ライト〜ミドルは重量級という表現が普通でした)は厳しい」という表現にとどまっていました。

その理由には、大きく二つあります。

一つには、日本における世界王者はそれだけで無上の価値だったことが挙げられます。世界で戦う日本人を日常的に応援できるのはボクシングだけだった時代です。そして〝わずか〟2団体12階級しかなく、スーパーもダイアモンドもフランチャイズもなかったのです。

何よりもボクシングは人気スポーツ、世界王者は問答無用のメジャーのアスリートでした。
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WBA12人+WBC13人=25人〝しか〟世界王者がいなかった時代に辻元はウェルター級最強王者に挑みました。

二つ目として、当時は世界的には来るべきシュガー・レイ・レナードという太陽が昇る前の黎明でした。

当時はまだ「ヘビー級が動くが如くボクシングが動く」時代でした。ウェルター級やミドル級は欧米の人気階級でしたが、それはまだ「ヘビー級を除いたら」という存在だったのです。


だからといって、ウェルター級のレベルが低いわけもなく、その価値に見あった注目と尊敬がなされない中で、辻元は危険すぎるリングに上がったのでした。

28歳の辻元は24勝12KO2敗2分のサウスポー。日本王座を9度防衛しての世界挑戦。

王者クエバスは16勝14KO6敗。荒削りの左フッカーは、まだ18歳の若さでした。

厳しい戦いが予想された辻元ですが、上々の立ち上がり。激しい打撃戦は王者のペースでしたが、5ラウンドまでの採点はジャッジ2人が25−25/24−24、主審24-23と三者三様(当時は5点法)。
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迎えた第6ラウンド。

クエバスの強打に3度のダウンを奪われて2分29秒KO負け。

「章次、恥ずかしい、ないですよ。いい試合やったですよ」。エディ・タウンゼントの言葉どおりの試合でした。



あれから46年。

日本人が戦うストロー級からミドル級までの13階級で、いまだにウェルター級だけが日本人未踏のまま、ぽっかりと穴が空いています。

偉大なトレーナーは、天国でどう思っているでしょうか。