〝延期〟されていた村田諒太とゲンナディ・ゴロフキンの試合が、4月開催で調整されているそうです。

この日程で開催に漕ぎ着けたとして、村田は2019年12月23日のスティーブン・バトラー戦から2年4か月ものブランクを作ることになります。

2年4か月、約850日。

ぼんやり毎日生きている私にとってはあっという間の時間ですが、トップアスリートにとってはプライムタイムの黄金の砂がさらさらと落ちて無くなってしまうのに十分な時間です。

村田の場合はパンデミックによる、これ以上ない不可抗力、誰にも恨み言のいえない不運でした。

ボクシングの長い歴史には、大きなブランクを作ってしまったファイターに枚挙に暇がありません。

それはファイターにとって悲劇であるばかりか、ボクシングファンにとっても痛恨の悲劇です。

この50年間だけでも、多くの偉大なファイターがその全盛期に予期せぬブランクを強いられました。

その理由は、村田のように時代の不運であったり、眼疾や怪我、病気であったり、プロモーターとの確執であったり、あるいは同情の余地のない自己責任の愚行であったり…十人十色です。


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【ブランクの原因】アメリカ合衆国を敵に回した。

その全盛期を知らない私のような人間でも、「ブランク」と聞いて、真っ先に思い浮かぶグレートは、モハメド・アリです。

ベトナム戦争への徴兵を拒否、無敗のまま統一世界ヘビー級王座を剥奪され、ブランクを強いられてしまいました。

ライセンスが停止されたのは1967年3月22日(ゾラ・フォーリー戦)〜1970年10月26日(ジェリー・クォーリィー戦)の3年7ヶ月あまり、世界中のスポーツファンはThe Greatestの25歳から28歳のプライムタイムを奪われてしまったのでした。

1971年に完全統一王者の後釜に座っていたUndisputedChampionジョー・フレージャーに、LinealChampionとして挑戦するも、ダウンを奪われた末にキャリア初黒星。

そして、アリのジョーカー、ケン・ノートンにも敗れて1974年にジョージ・フォアマンに挑みました。

フレージャーとノートンを簡単に粉砕している無敗のフォアマンに勝てるわけがない、と誰もが確信していましたが…。

傑出したアスリートが時代を代表するアイコンになることは珍しいことではありませんが、アリの場合は次元が違います。

引退後もリング誌などがたびたび特集を組み、その最期にはCNNが丸2日生中継で追悼するなど、アリの存在は規格外、父ブッシュが亡くなったときよりも扱いが篤かったことに驚きました。


【ビッグイフ】もし、あのブランクがなければ?

もし、アリが米国の意向に沿ってベトナム戦争に従軍していたなら、失われた3年7ヶ月は存在せず、米国の大会場で愛国の英雄として何度もメガファイトを戦っていたはずです。

バート・シュガーら多くの専門家は、あのブランクさえなければ、史上最高のボクサーはシュガー・レイ・ロビンソンではなかったとまで言い切ります。

しかし…。私はその多数意見を受け入れることは出来ません。

アリの強さの源泉はどこにありましたか?

米国をも敵に回す反骨と自己陶酔です。従軍したというアナザーワールドでは、その二つの牙が抜かれていたことになります。

そんなアリが史上最高なわけがありません。



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【ブランクの原因】網膜剥離などの眼疾や病気、怪我

1981年、史上最高の試合とまで絶賛されるトーマス・ハーンズトの大勝負に勝利したシュガー・レイ・レナードは、絶頂の翌年に網膜剥離のために引退を宣言。

1982年2月15日(ブルース・フィンチ戦)〜1987年4月6日(マービン・ハグラー戦)の5年2ヶ月、25歳から30歳、アリ以上の長いブランクでした。

1984年にケビン・ハワードとジュニアミドル級10回戦を戦っていますが、キャリア初ダウンを奪われるなど散々な出来で、試合後に2度目の引退宣言。多くのメディアで使われている「実質5年」という表現は間違いではありません。

5年以上のブランクからリングに舞い戻り、調整試合なしでいきなり挑戦したのがハグラー。「1対1のリンチにしかならない」と言われていましたが…。

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このパンデミックで日本でも有名になったジョンズ・ホプキンス大学。その名を初めて耳にしたのは、レナードが手術する「最高権威の大学病院」というニュースでした。


【ビッグイフ】もし、あのブランクがなければ?

ハーンズとの再戦は避けられなかったでしょう。また、ドナルド・カリーら新興勢力を迎え撃つことになっていたはずです。

カリーには勝てたでしょうが、ハーンズとの再戦はどうなっていたでしょうか?


●レナードと同じ眼疾からブランク…日本では辰吉丈一郎が有名ですが、世界戦直前の田辺清は手術をしても視力が回復せず、そのまま引退。

また、具志堅が、金平正紀会長の強硬な再起の勧めを断った理由が硝子体混濁。長らく飛蚊症に悩まされていた具志堅は「このまま現役継続すると網膜剥離に進行して失明するかもしれない」という診断に、引退を決めました

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プロモーターとの確執でブランクを余儀なくされた最近の代表格はマイキー・ガルシア。テレンス・クロフォードも訴訟を起こしましたが、ボブ・アラムから手痛い逆襲を喰わないとは限りません。

才能あるファイターのキャリアに、くだらない裁判沙汰で空白が出来ないことを祈ります。

ジム=プロモーターとの確執で、世界戦が決定していたにもかかわらず引退を決意したのが矢尾板貞雄。具志堅のケースも眼疾だけでなく、金平の搾取が目に余ったというのが本当の原因かもしれません。


自ら犯した重大犯罪で引退やブランクを作った愚か者も、数え切れません。

マイク・タイソンやアントニオ・マルガリート、エドウィン・バレロ…。ドーピングで短いながらブランクを作ったカネロ・アルバレスもこの軽蔑すべき〝凶悪犯罪者集団〟の一員に数えて差し支えないでしょう。

私生活の乱れから再三ブランクを作った五代登は、重大犯罪というか自己破滅型でしたが、復帰後は日本タイトル史上初の3階級制覇を達成。1987年2月、後楽園ホールの日本ライト級王者・大友巌戦はシビれました。



自己破滅型、というと精神不安定・対戦相手から逃亡してブランクや惨敗を喫するボクサーもいます。

昭和と平成、その三羽ガラス。

「昭和」では、ファイティング原田と海老原博幸よりも才能があったと言われた青木勝利。

「平成」で、辰吉丈一郎と鬼塚勝也よりも素質は上と評価されたピューマ渡久地。

彼らがもっと真摯にボクシングと取り組んでいたなら、エデル・ジョフレ戦や、ユーリ・アルバチャコフ戦は違う展開、結果になっていたでしょうか?

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また、気まぐれな自己都合でブランクを作っては、性懲りも無くリングに戻ってくるファイターもいます。

フロイド・メイウェザーが2008年、最初の引退宣言で理由に挙げたのは「モチベーションの低下」と「拳の慢性的な故障」でしたから、本来は網膜剥離などの眼疾や病気、怪我のメンバーに入れるべきかもしれませんが、復帰の理由は未納の税金支払いが560万ドルに膨らんだから。

この人の場合は常に「気まぐれな自己都合」です。

マニー・パッキャオもそうです。「2016年4月9日のティモシー・ブラッドリー第3戦を最後に引退する。神のお告げだ」と吐きましたが、4ヶ月後の8月9日に〝神のお告げ〟を撤回、11月にジェシー・バルガスと〝復帰戦〟を戦いました。

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村田諒太のブランクはパンデミックという問題に、日本史上最も大きな夢が賭けられたミドル級ボクサーという問題が複雑にミックスされて長引いてしまいました。

パンデミックがなければ、ミドル級でなければ…。そんなことを言い出したらキリがありません。

パンデミックは人類に降りかかった試練。ここを乗り越えてくれたなら、パンデミックに打ち勝ったアスリートのシンボルとして歴史に記憶されるでしょう。

そして、ミドル級だからこそ、村田を特別な思いで応援するのです。フライ、バンタムなどとは種類の違う夢と期待です。

そう、ミドル級だからこそ。