リング誌1月号はフェリックス・トリニダード特集。
ティトは村田諒太をはじめ、今なお熱狂的なファンを抱える一発殿堂のグレートです。
それにしても、もう1月号。
そして2月号はリング誌100周年記念特集号となるはずです。90周年はなかなかのボリュームでしたが、大きな区切りの100周年はどうなることやら…。
この1月号もそうでしたが、米国で現役スターがカネロしか見当たらない惨状の中で、リング誌は懐古的な特集を重ねています。
紙媒体の絶滅危機以前に米国ボクシングの衰退に引きずり込まれるように、リング誌の存在感も軽く薄くなるばかりです…。
気を取り直して、トリニダード特集!

プエルト・リコ。
サン・ファンに入港したクリストファー・コロンブスはその風光明媚に絶賛、その言葉がそのまま国名の由来と言われています。
「¡Qué Puerto Rico!(なんという美しい港なんだ!)」
「プエルト・リコ」「サンファン」と聞くと、多くの人はアメリカの貧しい自治州(Estado Libre Asociado=自治連邦区)とその州都のイメージでしょう。
普通の人のイメージはそこで止まってしまい、プエルト・リコ出身の人物を聞かれても、1人も答えられないかもしれません。
しかし、ボクシングファンにとってのプエルト・リコは怪物の特産地です。
カルロス・オルチス、エステバン・デ・ヘスス、ウィルフレド・ゴメス、ウィルフレド・ベニテス、ヘクター・カマチョ、カルロス・デ・レオン、エドウィン・ロサリオ、イバン・カルデロン、ミゲール・コット、ファン・マヌエル・ロペス…。
横浜市よりも少ない人口330万人の島国ですが、野球やバスケットボール、バレーボールで傑出した才能を輩出し続けるスポーツ大国、中でもボクシングはメキシコのライバルと見なされる超強豪国でした(現在の状況を鑑みると過去形で書くのが正解です)。
そんな、どこまでも妖しいまでの魅力に溢れるグレートたちをリング誌が蘇らせてくれました。
◉◉◉◉◉トリニダードはプエルト・リコ史上最高傑作か?
ボクシングは他のスポーツと比べて、国の大きさや経済力に左右されず、個人の才能で世界の頂点をつかめ、国民的英雄になれる手段だ。
現在、82の国が少なくとも1人以上のチャンピオンを擁立している。特に発展途上の国にとって、ボクシングの世界王者は、国を代表する特別なアスリートになっている。
プエルトリコは面積はコネチカット州より小さく、人口はユタ州と変わらない330万人だが、The Sweet Scienceとも呼ばれるボクシングの世界地図で、最も強力な juggernaut=大勢力の1つである。
プエルトリコの伝説は、1936年にNBAとNYSACのタイトルを獲得し、バンタム級のUndisputed Championになったシクスト・エスコバルを先駆けに、85年後の現在はWBOストロー級王者ウィルフレド・メンデスまで脈々と繋がれている。
2000年〜2021年10月1日現在までの7,945日のうち7,324日=92.2%にわたって、少なくとも1人のプエルトリコ人がメジャー団体の世界タイトルを保持、2000年1月1日からフロイド・メイウェザー・ジュニアがミゲール・コットを下してWBAジュニアミドル級王座を獲得した2012年5月5日まで、この記録は100%だった。
フェリックス・トリニダードは、2000年3月にWBAジュニアミドル級王座を獲得し(UD12=デビッド・リード)、ママドゥ・ティアム(3ラウンドTKO)、フェルナンド・バルガス(12ラウンドTKO)と防衛を重ね、2001年5月にはWBAミドル級王者ウィリアム・ジョッピーを5ラウンドで屠り、その4ヵ月後にバーナード・ホプキンスに敗れるまで12年間に渡って王座をキープしてきた。
しかし、ティトが最も輝いたのは、IBFウェルター級王者として長く活躍した1990年代だ。
滑らかな動きと長い距離から繰り出される強打で、キャリア通算42勝3敗(35KO)の戦績をマーク、2014年には殿堂入りも果たした。
さて、トリニダードはプエルトリコで最も偉大なファイターなのだろうか?
数か月前のフリオ・セサール・チャベス特集では、チャベスがメキシコ史上最高のボクサーなのかどうかを検証したが、多くのライバルがひしめくメキシコの歴史の中でも、チャベスが頂点に立っていることは明らかだった。
「メキシコのチャベス」のように「プエルト・リコのトリニダード」も史上最高なのか?
トリニダードの〝対戦相手〟を見てみよう(アルファベット順)。
▶︎ウィルフレド・ベニテス(1973年~1990年、53勝8敗1分、31KO)
▶︎イバン・カルデロン(2001年~2012年、35勝3敗1分、6KO)
▶︎ヘクター・カマチョ(1980年~2010年、79勝6敗3分、38KO)

▶︎ミゲール・コット(2001年~2017年、41勝6敗33KO)

▶︎ウィルフレド・ゴメス(1974年~1989年、44勝3敗1分、42KO)

サントゥルセ出身のゴメスは、その圧倒的な拳の威力から「バズーカ」というニックネームで呼ばれた。
122ポンドではこのバズーカ砲は無敵だった。
プロデビュー戦こそ、まさかの引き分けだったが、1977年5月に廉東均(韓国)を12ラウンドTKOしてWBCジュニア・フェザー級王者を獲得すると、歴史的な6年間の絶対王政が走り出した。
17回の防衛戦の全てをノックアウトで片付けたのだ。ミドル級のゲンナディ・ゴロフキンが16連続KO防衛まで迫ったが、団体や階級の数、そして軽量級という要素を考えるとプエルト・リコのバズーカがいかに破壊てきだったかがよくわかるだろう。
1974年12月から1981年6月までにマークした32連続KOも世界記録だ。
プエルトリコ以外でのタイトル戦では11勝1敗(11KO)、世界戦で20勝3敗(18KO)。
殿堂入り選手との対戦成績は2勝2敗(2KO)。サンチェスやアズマー・ネルソンにKO負けしたことを指摘するが、ルペ・ピントールやカルロス・サラテにKO勝ちしたことを忘れてはならない。
ゴメスがジュニアフェザー級を去ってから40年が経とうとしている。それなのに、多くの人はゴメスが史上最強の122パウンダーだと信じているのだ。
1995年に事実上の一発殿堂。
▶︎カルロス・オルティス(1955年~1972年、61勝7敗1分、30KO)

ポンセ生まれのオルティスは、幼少時に家族とニューヨークに移住、ストリートファイトを繰り返して、警察官から「ボクシングをやれ」とマディソン・スクエア・ボーイズ・クラブに入会した。
アマチュアでは40戦あまりの経験ながら、才能を発揮。その成功はプロに入っても続く。
1959年6月、ケニー・レインを2ラウンドで粉砕して、13年間眠っていた世界ジュニア・ウェルター級タイトルに息吹を吹き込んだ。
1962年4月、オルティスは体重を下げて2つ目のタイトルを獲得。〝逆2階級制覇〟を果たした数少ない選手の1人となる。その後の6年間、オルティスは2度の政権で通算9度の防衛に成功、フラッシュ・エロルデ(14ラウンドKO、14ラウンドTKO)、イスマエル・ラグナ(判定勝ち)、ウルティミニオ・"シュガー"・ラモス(5ラウンドKO、4ラウンドKO)の強豪相手に勝利を収めている。
多彩な戦略、テクニック、インテリジェンス、そしてコンディショニング。ボクサーに必要な内面を全て持ち合わせていたがオルチスだ。
世界戦は14勝4敗(8KO)。ジュニアウェルター、ライト級というクラスながらビッグファイトも繰り広げたグレート。
さあ、問題の「トリニダードはプエルト・リコ史上最高のボクサーか?」。
トリニダードとゴメス、カルデロン、コット、オルティスの4人との対決だ。
カルデロンは、他の選手に比べて対戦相手の質が低く(殿堂入り選手がいない)、試合は退屈で、地味。
オルティスは対戦相手の質が高く、同じチャンピオン(8勝5敗1分、4KO)や殿堂入りした選手(8勝4敗1分、4KO)を相手に偉大な勝利を得ているが、ゴメスと比べるとインパクトは小さい。コットも有力な選択肢の1つだったが、やはりゴメスを上回る要素は見当たらない。
トリニダードとゴメス。このマッチアップは、非常に拮抗している。
両者とも20歳で初タイトルを獲得、間断なく優秀な成績を収め続けた。
両者とも頭抜けた強打者だが、ゴメスの破壊力が上、ジュニアフェザー級の全盛期には顎も強く、ディフェンスも固かった。
殿堂入り選手という点では、ゴメスが無敗のサラテと、まだ全盛期だったピントールに2回のKO勝ちを収めたことは、トリニダードが全盛期を過ぎたウィテカーとカマチョに判定勝ちした結果を上回っている。
無敗のオスカー・デラホーヤとの「1000年に一度の戦い」に微妙な判定で勝利したことは、いまだに議論の的となっている。
ティトとゴメス、2人とも1つの階級で傑出したものの、他の2つの階級では成績が振るわなかった。
トリニダードは154(ジュニアミドル)と160(ミドル)の世界戦で4勝1敗(3KO)、敗北はKO負け。
ゴメスは126と130のタイトルマッチで2勝3敗(0KO)3度のKO負けを喫しているので、トリニダードに軍配が挙がる。
また、キャリアの中で世界王者経験者は、ゴメスの9人に対し、トリニダードは12人。
ゴメスの時代はベルトの数が圧倒的に少なかった点は考慮すべきだが、ゴティトはそのパワーをスケールアップさせ、上のクラスでも結果を出した。
Given the evidence presented here, a strong argument can be made that Trinidad is indeed the greatest Puerto Rican fighter in history.
以上から、トリニダードがプエルトリコの歴史上、最も偉大なファイターであることは明らかである。
■■■ティトとゴメス、確かに甲乙つけがたいです。ただ、軽量級は層が薄い反面、殿堂選手もビッグネームも少ないというディスアドバンテージを抱えています。
ボクシングマガジンやビートがこの企画をやれば、ゴメスが凱歌を奏していたのではないでしょうか。
ティトは村田諒太をはじめ、今なお熱狂的なファンを抱える一発殿堂のグレートです。
それにしても、もう1月号。
そして2月号はリング誌100周年記念特集号となるはずです。90周年はなかなかのボリュームでしたが、大きな区切りの100周年はどうなることやら…。
この1月号もそうでしたが、米国で現役スターがカネロしか見当たらない惨状の中で、リング誌は懐古的な特集を重ねています。
紙媒体の絶滅危機以前に米国ボクシングの衰退に引きずり込まれるように、リング誌の存在感も軽く薄くなるばかりです…。
気を取り直して、トリニダード特集!

プエルト・リコ。
サン・ファンに入港したクリストファー・コロンブスはその風光明媚に絶賛、その言葉がそのまま国名の由来と言われています。
「¡Qué Puerto Rico!(なんという美しい港なんだ!)」
「プエルト・リコ」「サンファン」と聞くと、多くの人はアメリカの貧しい自治州(Estado Libre Asociado=自治連邦区)とその州都のイメージでしょう。
普通の人のイメージはそこで止まってしまい、プエルト・リコ出身の人物を聞かれても、1人も答えられないかもしれません。
しかし、ボクシングファンにとってのプエルト・リコは怪物の特産地です。
カルロス・オルチス、エステバン・デ・ヘスス、ウィルフレド・ゴメス、ウィルフレド・ベニテス、ヘクター・カマチョ、カルロス・デ・レオン、エドウィン・ロサリオ、イバン・カルデロン、ミゲール・コット、ファン・マヌエル・ロペス…。
横浜市よりも少ない人口330万人の島国ですが、野球やバスケットボール、バレーボールで傑出した才能を輩出し続けるスポーツ大国、中でもボクシングはメキシコのライバルと見なされる超強豪国でした(現在の状況を鑑みると過去形で書くのが正解です)。
そんな、どこまでも妖しいまでの魅力に溢れるグレートたちをリング誌が蘇らせてくれました。
◉◉◉◉◉トリニダードはプエルト・リコ史上最高傑作か?
ボクシングは他のスポーツと比べて、国の大きさや経済力に左右されず、個人の才能で世界の頂点をつかめ、国民的英雄になれる手段だ。
現在、82の国が少なくとも1人以上のチャンピオンを擁立している。特に発展途上の国にとって、ボクシングの世界王者は、国を代表する特別なアスリートになっている。
プエルトリコは面積はコネチカット州より小さく、人口はユタ州と変わらない330万人だが、The Sweet Scienceとも呼ばれるボクシングの世界地図で、最も強力な juggernaut=大勢力の1つである。
プエルトリコの伝説は、1936年にNBAとNYSACのタイトルを獲得し、バンタム級のUndisputed Championになったシクスト・エスコバルを先駆けに、85年後の現在はWBOストロー級王者ウィルフレド・メンデスまで脈々と繋がれている。
2000年〜2021年10月1日現在までの7,945日のうち7,324日=92.2%にわたって、少なくとも1人のプエルトリコ人がメジャー団体の世界タイトルを保持、2000年1月1日からフロイド・メイウェザー・ジュニアがミゲール・コットを下してWBAジュニアミドル級王座を獲得した2012年5月5日まで、この記録は100%だった。
フェリックス・トリニダードは、2000年3月にWBAジュニアミドル級王座を獲得し(UD12=デビッド・リード)、ママドゥ・ティアム(3ラウンドTKO)、フェルナンド・バルガス(12ラウンドTKO)と防衛を重ね、2001年5月にはWBAミドル級王者ウィリアム・ジョッピーを5ラウンドで屠り、その4ヵ月後にバーナード・ホプキンスに敗れるまで12年間に渡って王座をキープしてきた。
しかし、ティトが最も輝いたのは、IBFウェルター級王者として長く活躍した1990年代だ。
滑らかな動きと長い距離から繰り出される強打で、キャリア通算42勝3敗(35KO)の戦績をマーク、2014年には殿堂入りも果たした。
さて、トリニダードはプエルトリコで最も偉大なファイターなのだろうか?
数か月前のフリオ・セサール・チャベス特集では、チャベスがメキシコ史上最高のボクサーなのかどうかを検証したが、多くのライバルがひしめくメキシコの歴史の中でも、チャベスが頂点に立っていることは明らかだった。
「メキシコのチャベス」のように「プエルト・リコのトリニダード」も史上最高なのか?
トリニダードの〝対戦相手〟を見てみよう(アルファベット順)。
▶︎ウィルフレド・ベニテス(1973年~1990年、53勝8敗1分、31KO)

「エル・レーダー」「ザ・ドラゴン」「ボクシングの聖書」と称された、稀代のディフェンスマスターは、ピンポイントのカウンターパンチも操る正真正銘の天才。
後に殿堂入りするグレート、アントニオ・セルバンテスを17歳6ヶ月で下し、史上最年少で世界王者になった。
シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズと拳を交え「第5の王者」(総当たり戦に参画できなかったためFour Kingsには数えられない)と呼ばれることもあるが、1983年6月にムスタファ・ハムショーに判定負け、ミドル級の完全統一王者マーベラス・マービン・ハグラーへの挑戦と、史上初の4階級制覇のチャンスが霧散してしまう。
ビッグイフだが、もしハグラーに勝ってジュニアウェルターからミドルまでの4階級制覇を達成していたなら、ベニテスは歴代最高ボクサーの議論に登る存在だっただろう。
世界戦で9勝2敗(3KO)、殿堂入りボクサーとの対戦で3勝2敗(0KO)、アルファベット団体の王者との対戦で7勝4敗(1KO)。
全盛期を、普通に20代半ばで迎えていたなら、さらに刮目する数字になっていただろう。
天性の才能に頼りすぎたベニテスは、規律と情熱を失い、1982年1月のデュラン戦以降は3度のKO負けを含む9勝7敗(3KO)と山を下ってしまった。
1984年7月の元王者デービー・ムーア戦(負傷により2ラウンドでストップ負け)や1986年2月のマシュー・ヒルトン戦(9ラウンドでKO負け)は、本来のベニテスなら負ける相手ではなかった。
それでも、ベニテスは1996年に一発殿堂、37歳280日と、サルバドール・サンチェス(1991年の入会式に出席していれば32歳142日だった)に次ぐ史上2番目の若さだった。
▶︎イバン・カルデロン(2001年~2012年、35勝3敗1分、6KO)

ベニテスのように、Iron Boy El Nino De Hierro=鋼鉄の子もまた、その時代を代表するディフェンスマスターの一人だった。
ベニテスとは異なり、7年以上にわたってアルファベットの世界タイトルを保持(2003年5月から2007年4月までWBOストロー級王者、タイトル返上後、2007年8月から2010年8月までWBOジュニアフライ級王者)。
世界戦は19勝3敗1分(3KO)、ストロー級で11回、ジュニアフライ級でで6回の防衛に成功し、世界王者経験者9人の選手を破った。
ファンやメディアがすばしっこい動きと、非力で見せ場のないラウンドを繰り返すカルデロンを批判する中でも、小さな巨人はスコアカードを巧みに組み立てるリングジェネラルシップを貫いた。
その長期にわたる優れた業績が評価され、数年前から殿堂モダン投票にノミネートされているが、まだ殿堂入りは叶っていない。
▶︎ヘクター・カマチョ(1980年~2010年、79勝6敗3分、38KO)

ベニテスのディフェンス、カルデロンの素早い動き、さらにレナードばりのハンドスピード。
そして何よりもテレビ画面やライブの観客を沸かせる卓越した才能を持つ "マッチョマン "は、確かに一時代=マッチョ・タイムを築いた。
1982年7月、CBSテレビでルイス・ロイをTKOで下したことで、カマチョのパフォーマンスとカリスマ性、そして別次元の技術に全米のボクシングファンが目を見張った。
さらにネットワークテレビで5連勝、カマチョは世界王者ラファエル "バズーカ "リモンを5ラウンドでストップ、世界王座に就く。
バヤモン出身のマッチョマンは、1985年8月にはホセ・ルイス・ラミレスを下してWBCライト級タイトルを獲得し、ボクシングシーンの主役の一人になった。
ラミレスを倒してから10ヵ月後、エドウィン・ロサリオが放った強烈なフックによって、キャリアで初めて大きな危機に追い込まれた。試合はスプリットデシジョンで勝利したものの、生き残りに逃げるだけのマッチョマンの姿に世界は失望してしまう。
それでも、1991年2月にグレッグ・ハウゲンに破れるまで、デビューから38連勝をマーク。
その一方で、カマチョのリング外での闇に沈んだ私生活は、彼の才能を一枚一枚削ぎ落とし、経年劣化も深刻化。
1989年には、レイ・マンシーニを微妙な判定で競り落とし、3階級制覇。
世界王者経験者との対戦成績は10勝4敗2分(2KO)、世界タイトルマッチでは9勝4敗(2KO)、1994年のトリニダードへのポイント負けを含む。
特筆すべきは、30年にも及ぶキャリアの中で一度もKOされなかったことだ。2016年に殿堂入り。
▶︎ミゲール・コット(2001年~2017年、41勝6敗33KO)

2000年のシドニーではメダルを獲得できなかったが、プロで披露した上質のテクニックと強力なフックで、多くの人が「トリニダードの後継者」と認めた。
若い選手の多くはその期待の重圧に潰されるが、石のように無表情のコットは大試合を勝ち抜き、マディソン・スクエア・ガーデンの主役になる。
コットはプエルト・リコで初めて4階級制覇を達成、今も母国の最多階級制覇者だ。
トリニダードが殿堂入り式典に参列する前夜、リング誌とWBCミドル級王者セルヒオ・マルティネスを倒してミドル級のタイトルを獲得。
世界戦20勝6敗(16KO)、王者経験者との対戦成績は16勝6敗(12KO)、プエルトリコ以外で行われた世界戦(全て米国)で14勝5敗(11KO)。
しかし、殿堂入り選手との対戦成績は1勝1敗(モズリー判定勝ち、メイウェザー判定負け)だが、マルチネス(TKO10)、マニー・パッキャオ(12ラウンドTKO負け)、カネロ・アルバレス(判定負け)が殿堂入りすれば、2勝3敗になる。
多くの人が、コットが一発で殿堂に選ばれなかったことを驚いた。
彼のレガシーを常識的に考えると、殿堂入りにそう長い時間はかからないだろう。
▶︎ウィルフレド・ゴメス(1974年~1989年、44勝3敗1分、42KO)

サントゥルセ出身のゴメスは、その圧倒的な拳の威力から「バズーカ」というニックネームで呼ばれた。
122ポンドではこのバズーカ砲は無敵だった。
プロデビュー戦こそ、まさかの引き分けだったが、1977年5月に廉東均(韓国)を12ラウンドTKOしてWBCジュニア・フェザー級王者を獲得すると、歴史的な6年間の絶対王政が走り出した。
17回の防衛戦の全てをノックアウトで片付けたのだ。ミドル級のゲンナディ・ゴロフキンが16連続KO防衛まで迫ったが、団体や階級の数、そして軽量級という要素を考えるとプエルト・リコのバズーカがいかに破壊てきだったかがよくわかるだろう。
1974年12月から1981年6月までにマークした32連続KOも世界記録だ。
プエルトリコ以外でのタイトル戦では11勝1敗(11KO)、世界戦で20勝3敗(18KO)。
殿堂入り選手との対戦成績は2勝2敗(2KO)。サンチェスやアズマー・ネルソンにKO負けしたことを指摘するが、ルペ・ピントールやカルロス・サラテにKO勝ちしたことを忘れてはならない。
ゴメスがジュニアフェザー級を去ってから40年が経とうとしている。それなのに、多くの人はゴメスが史上最強の122パウンダーだと信じているのだ。
1995年に事実上の一発殿堂。
▶︎カルロス・オルティス(1955年~1972年、61勝7敗1分、30KO)

アマチュアでは40戦あまりの経験ながら、才能を発揮。その成功はプロに入っても続く。
1959年6月、ケニー・レインを2ラウンドで粉砕して、13年間眠っていた世界ジュニア・ウェルター級タイトルに息吹を吹き込んだ。
1962年4月、オルティスは体重を下げて2つ目のタイトルを獲得。〝逆2階級制覇〟を果たした数少ない選手の1人となる。その後の6年間、オルティスは2度の政権で通算9度の防衛に成功、フラッシュ・エロルデ(14ラウンドKO、14ラウンドTKO)、イスマエル・ラグナ(判定勝ち)、ウルティミニオ・"シュガー"・ラモス(5ラウンドKO、4ラウンドKO)の強豪相手に勝利を収めている。
多彩な戦略、テクニック、インテリジェンス、そしてコンディショニング。ボクサーに必要な内面を全て持ち合わせていたがオルチスだ。
世界戦は14勝4敗(8KO)。ジュニアウェルター、ライト級というクラスながらビッグファイトも繰り広げたグレート。
さあ、問題の「トリニダードはプエルト・リコ史上最高のボクサーか?」。
トリニダードとゴメス、カルデロン、コット、オルティスの4人との対決だ。
カルデロンは、他の選手に比べて対戦相手の質が低く(殿堂入り選手がいない)、試合は退屈で、地味。
オルティスは対戦相手の質が高く、同じチャンピオン(8勝5敗1分、4KO)や殿堂入りした選手(8勝4敗1分、4KO)を相手に偉大な勝利を得ているが、ゴメスと比べるとインパクトは小さい。コットも有力な選択肢の1つだったが、やはりゴメスを上回る要素は見当たらない。
トリニダードとゴメス。このマッチアップは、非常に拮抗している。
両者とも20歳で初タイトルを獲得、間断なく優秀な成績を収め続けた。
両者とも頭抜けた強打者だが、ゴメスの破壊力が上、ジュニアフェザー級の全盛期には顎も強く、ディフェンスも固かった。
殿堂入り選手という点では、ゴメスが無敗のサラテと、まだ全盛期だったピントールに2回のKO勝ちを収めたことは、トリニダードが全盛期を過ぎたウィテカーとカマチョに判定勝ちした結果を上回っている。
無敗のオスカー・デラホーヤとの「1000年に一度の戦い」に微妙な判定で勝利したことは、いまだに議論の的となっている。
ティトとゴメス、2人とも1つの階級で傑出したものの、他の2つの階級では成績が振るわなかった。
トリニダードは154(ジュニアミドル)と160(ミドル)の世界戦で4勝1敗(3KO)、敗北はKO負け。
ゴメスは126と130のタイトルマッチで2勝3敗(0KO)3度のKO負けを喫しているので、トリニダードに軍配が挙がる。
また、キャリアの中で世界王者経験者は、ゴメスの9人に対し、トリニダードは12人。
ゴメスの時代はベルトの数が圧倒的に少なかった点は考慮すべきだが、ゴティトはそのパワーをスケールアップさせ、上のクラスでも結果を出した。
Given the evidence presented here, a strong argument can be made that Trinidad is indeed the greatest Puerto Rican fighter in history.
以上から、トリニダードがプエルトリコの歴史上、最も偉大なファイターであることは明らかである。
■■■ティトとゴメス、確かに甲乙つけがたいです。ただ、軽量級は層が薄い反面、殿堂選手もビッグネームも少ないというディスアドバンテージを抱えています。
ボクシングマガジンやビートがこの企画をやれば、ゴメスが凱歌を奏していたのではないでしょうか。


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