ナジーム・ハメドは謎の多いボクサーです。

「本当はどれほど強かったのか?」という実力面。

そして「どうしてHBOは無名のムスリムと巨額の契約を結んだのか?」という経済面。
特にミステリアスなのは、この2点です。

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実現しなかった殿堂入り5人(フロイド・メイウェザーの殿堂資格発生は来年ですが一発殿堂は間違いありません)への思いを語るハメド。ファン・マヌエル・マルケスについては、いつものように最初に「逃げた覚えは一切ない」。そろそろ許してあげたいのですが、わかりやすくて面白いキャラです、ハメド。〜リング誌2019年12月号「パックマンvsプリンス大特集」より。


▶︎まずは、プリンスの本当の「実力」を考えてみましょう。

もし、殿堂がボクサーの実力だけが評価されるなら、ナジーム・ハメドが一発で殿堂入りできなかったことは、明らかに間違いです。

個人的には当時ESPNのダン・ラファエルらの「ファン・マヌエル・マルケスからのあからさまな逃げっぷりは殿堂に値しない」という考え方を支持したい気持ちはありますが。

その考え方の延長上に「アーツロ・ガッティは勇気の塊だから一発殿堂」だったのなら、確かに筋は通っています。

ただし、もしそうなら八重樫東も一発殿堂でなければ納得いきません。

しかし、殿堂入りはリングに残した業績で評価されるべきです。

ハメドがアーツロ・ガッティに劣る要素があるとしたら、勇気だけです。その他の要素、階級に君臨した絶対度や戦績、世界のボクシングを盛り上げた功績…ハメドのプラスを全て集めてもガッティに届かない理由を誰が説明出来るでしょうか?

やはり摩訶不思議なFirst Ballot (一発殿堂)ダニエル・サラゴサと比べて、ハメドが劣っていたのは何だったのでしょうか?

ハメドが完敗したマルコ・アントニオ・バレラ、ついに拳を交えなかったエリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスが一発殿堂を決めたのは、もちろん誰もが納得です。

ファンやメディアからは、その3人との対戦が熱望されましたが、バレラに完敗した1試合しか実現せず、他の2人との対戦はついに叶いませんでした。

ハメド没落の直後に、マニー・パッキャオが繰り広げた軽量級にはあるまじきスケールのラウンドロビンは、本来ならハメドにこそ期待されていました。

それでも、正式決定していないメガファイトでお馴染みのポテンシャルオッズで、ハメドは3人のいずれとも有利の数字が叩かれていたのも事実です。

もちろん、実際に戦っていたら3戦全惨敗で、ラウンドロビンから早々に脱落していた可能性大です。

それでも、リング誌Best Fighter Poll でも最高位6位=2000年とその実力は非常に高く評価されていました。

ハメドは穴王者だったのか?答えはもちろんNOです。

どこの世界にバレラ、モラレス、マルケスを向こうに回して有利のオッズが並ぶボクサーがいますか?

では、プリンスが打ち倒した36勝の名簿から「いつの誰に勝ったのか?」を洗い直します。

まず、この手の評価で最初に上がる「殿堂」ボクサー。

ハメドの36勝に殿堂入りボクサーは1人もいません。殿堂クラスもいません。

次に、PFP10傑でもいません。PFP10傑の経験者もいません。

さらに枠を広げて現役・前・元世界王者。

ケビン・ケリーは弱い王者ではありませんが、強豪にはきっちり負ける礼儀正しい男です。その意味でもハメドは強豪でした。

ケリー、ウィルフレド・バスケス、マヌエル・メディナ、トム・ジョンソン、ウェイン・マッカラー、ポール・イングル、ブヤニ・ブングら世界王者経験者に対しては、なんと9勝8KOと凄まじい数字を残しています。

しかし、三階級で勇名を馳せたバスケスを除くと、平凡なアルファベット王者リストにすぎません。

そのバスケスも当時は37歳。「誰に勝ったか」はクリアできても「いつ」では論外です。

フェザー級バージョン、37歳のプエルトリカン、バスケスは、あまりにも無様な負け方をしたボクサーがいたことから「日本人キラー」と語られることもありますが、全盛期のバンタム、ジュニアフェザー級時代には六車卓也や横田広明に難しい戦いを強いられており、全盛期でも盤石の強豪王者とは言い切れない存在でした。

そんなバスケスのフェザー級バージョン、しかも37歳との試合がキャリア最高試合というのが、ハメドの実態です。

もちろん、それでも一発殿堂に十分な実績です。

この実績に、世界中のボクシングファンを楽しませたボクシングスタイルに入場パフォーマンスまで加えると、その功績が一発殿堂でなく何年も殿堂入りを待たされたことは、全くもって腑に落ちません。
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▶︎そして、ハメドの報酬です。軽量級では信じられない、ありえない300万ドルファイターでした。

このブログで何度も繰り返しているように「軽量級が最も尊敬されるリングは日本」です。そして「軽量級はラスベガスをはじめ米国では需要がありません」。

欧米で軽量級で、人気階級のスター並みの大きな成功を収めたボクサーは皆無です。 

カリド・ヤファイですら「大きな家も好きな車も買うことができた。でも、私がミドル級で同じことをやっていたら全く違う家と車になっていた」と幻滅しました。

PFPファイターのファン・フランシスコ・エストラーダも「ウェルター級などのクラスとの報酬格差は許容範囲を超えている。PFPとかどうでもいいから報酬でも評価して欲しい」と事あるごとに怒りを露わにしています。

彼らは間違いなく成功者です…が、「軽量級としては」という但し書きが必要です。

「軽量級は需要がないから報酬も低い」。

そんな欧米では当たり前の常識で、唯一の例外がナジーム・ハメドです。

そのハメドですら、ウェルター級やミドル級、ヘビー級で騒がれるような「巨額の報酬」を手に入れたわけではありません。

唯一の例外、ハメドですらそうなのです。それほどまでに、米国では軽量級の需要、人気がないのです。

それでも、ハメドがHBOと結んだ6試合1200万ドル(当時のレートで約15億6000万円)は、デビューしたばかりとはいえフロイド・メイウェザーをして「すげぇな、羨ましい」と言わしめました。

1試合200万ドル保証。軽量級としては破格も破格、今に至るまでも、前代未聞です。

この輝きがあまりにも眩しすぎて、ハメドの引退から20年近く経っても井上尚弥の口から「(ラスベガスで注目されるなら)最低でもフェザー」という言葉がこぼれたのかもしれません。

もちろん、何の実績もない米国にデビュー戦から破格の待遇が用意されたことにはカラクリがあります。

ハメドの血統であるイエメン王朝からHBOへ莫大な資金が供出されていたことは有名な話です。

さらに、サウジアラビアの王族までがスポンサーに名乗りを上げ、この二国だけで5000万ドル以上の放映権料を支払ったとも伝えられています。

他のいわゆる「湾岸諸国」も多額の放映権料でハメドの試合を購入、ボクシングファンからは「HBOはHome Box Office ではなくHamed Box Office だ」とまで揶揄されました。

イエメンでは建国以来、初めてのスポーツヒーローがハメドでした。

年1回の大統領表敬訪問では宮殿内にトレーニングキャンプが設営され、記念切手までが何種類も発行されることになります。

高級腕時計やベンツなどの高級車、豪邸は訪問のたびにいくつも与えられたといいます。

このように、ハメドは実力で米国市場の扉を開いたわけではありません。

もちろん、HBOが200万ドル(2億6000万円=莫大なオイルマネーに浴したいしては少ない?)もかけて大宣伝を行ったケビン・ケリー戦は、多くの視聴者を集めて非常に面白い試合になりました。

ハメドは単なる金持ちのボンボンではありませんでした。 アラブマネーで扉を開いて、実力で人気者になりました。

ハメドほど極端ではないにせよ、日本のスター選手の海外挑戦も強力なサポートに後押しされているのは当然です。

イチローや松井秀喜の契約が、日本から支払われる莫大な放映権料や球場に掲げられるユンケルやクボタの大看板と無縁であるはずがありません。

かつて、セリエAに挑戦した世間体を人一倍気にする中田英寿は入団会見で「スポンサーの話はNG」と規制しました。

井上尚弥のSuper Fly 興行参戦でもHBOは軽量級では破格の2000万円近い報酬を用意しましたが、日本での放映権料から上乗せされていたことは疑いようがありません。

それでも、日本で戦う半分程度の金額でした。井上にはフジテレビやWOWOWが別途放映権料を支払う形で最終的には日本での報酬に近い約4000万円を手にしたと言われています。

ただ、イチローや松井、中田と井上が決定的に違う事実は、野球やサッカーは米国、欧州が「本場」、つまり栄光とカネがそこで待っていますが、ラスベガスは日本の軽量級スターにとっては文字通りの砂漠、需要がないのです。そこでは、逆にカネを吸い取られるだけ、ということです。

そして、ハメドと井上も全く違います。

当時のハメドにとってイエメンやサウジアラビアには戦うリングが、今以上に存在しませんでした。 

米国でもハメドが大会場で戦えたのは2試合だけですが、それでもイエメンで試合を組むよりははるかにマシです。

井上は、そうではありません。 ラスベガスやニューヨークでやるよりも、はるかに大きな尊敬と栄光とカネが待つ、母国のリングを持っているのです。

その意味では、ハメドは〝ホームレス〟でした。

アラブの王族からこれ以上ない寵愛を受けながらも「プリンス」というキャラクターを作ってきたハメドは、早く偽りの仮面を脱ぎたかったのでしょう。

メキシカンや米国人ではないハメドの人気が高まれば高まるほど、より高いハードルを突き付けてくるのがアメリカです。

マニー・パッキャオはその状況を手を叩いて喜び、アウエーのリングで超強豪に挑みかかりました。

しかし、ハメドは一世一代の大勝負の重圧に耐えられず、トレーニングから試合まで藁にもすがる神頼みの時間を過ごしてしまいます。

ハメドがメキシカンなら事情は変わっていたでしょう。

もしそうなら、カネロ・アルバレスは〝ミドル級のハメド〟と後ろ指を差されていたかもしれません。