The bulwark of Pryor's legend is that the marquee fighters ducked him.

アーロン・プライアーの強さが、今なお伝説的に語り継がれている理由は多くの強豪たちが彼との対戦から逃げたからである。〜リング誌2017年3月号〜 

プライアーは、ジュニアウェルター級という小さなプールの中で圧倒的な強さを見せつけました。

その強さと、何人かのビッグネームとの対戦交渉が破綻した事実からファンは多くの想像を巡らせました。

ーーもし、大海に放たれていたらプライアーは大物のスター選手を何人か喰っていたはずだ。

Aaron Pryor was a special fighter but is one of the sport's great〝what if?〟stories.

プライアーは強かっただけじゃない。「あのビッグネームと拳を交えていたら?」というイフを最も語りたくなるボクサーの1人なのだ。
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確かに、プライアーの強さは、リングの外で作られた伝説が絶妙のスパイスになっています。

しかし、スポーツで語られる多くの「伝説」がそうであるように、プライアーの場合も全てが事実ではありません。

プライアーもまた、いくつかの対戦を断っているのです。

盲目的なファンは当たり前の事実を見逃します。だから盲目的なのですが。

「井上尚弥は多くの王者から避けられ、王者になれば防衛戦の相手にも逃げられたが、勇気ある挑戦者が手を挙げてくれてなんとか試合をつなぐことができた」。

「PFPで上位に進出、WBSS優勝で井上の世界評価が上がったから対戦オファーが殺到している」。

これもある意味で、ウソです。正確な報道ではありません。

当たり前ですが、井上陣営は「オファーを断られた」とまでは言いますが、どれだけの報酬を提示したのかは絶対に漏らしません。公にできない契約上の問題だからではありません。あまりにも金額が低すぎるからです。

そして、井上陣営が絶対に口にしないことは対戦オファーを断ったケースです。誰からも対戦オファーが来ない、そんなわけがありません。

もちろん、対戦オファーを断ったのを逐一発表するなんて、選手の価値を下げるようなことをする必要はなく、そんな当たり前のことにすら思いが及ばない信者に問題があるのです。

セレス小林らが「パッキャオからのオファーを断った」と引退後にパッキャオの鬼神の大活躍を見てから告白するのは当然です。パッキャオクラスでなければ、引退後に明かす必要もありません。

これはプロボクシング、ビジネスなのですから。

井上の防衛戦が雑魚ばかりなのは、強豪選手が臆病で、勇気ある雑魚が手を挙げたのではありません。

井上に対戦オファーが殺到するようになったのは、WBSSで優勝したからではなく、対戦候補者たちが平均単価で1万円を超える有料入場者が2万人も集まる光景を目の当たりにしたからです。

プライアーの伝説のカラクリも全く同じでした。大橋ジムのように、マネージャーのバディ・ラロッサはオファーを断った相手を「逃げた」と非難したのです。

ビジネスである限り、オファーを受けるかどうかの判断基準は報酬だけです。

今後、井上が日本で試合をするとなると、どんな雑魚挑戦者でも最低でも5万ドルは要求するでしょう。

そして王者クラスになれば、かつての「長谷川穂積vsフェルナンド・モンティエル」のような釣り上げ交渉は避けられません。

長谷川もモンティエル戦のあとはオファーが殺到したはずですが、それらは全く公表されていません。当然です。


Pryor, too, rejected fights usually on the advice of a lawyer who didn't think the money was right.

代理人が報酬が低すぎると判断した試合は、プライアーもまた、断っていたのです。

He was nicknamed〝The Hawk,〟but in the business world he was a pegeon.

「渾名は「荒鷲」だったがビジネスでは鳩だった」という証言も事実でしょう。


米国ボクシング史で燦々と輝くモントリオール1976の代表5人は、例えると甲子園で大活躍してドラフト1位でプロ入りしたようなものです。

彼らが有名プロモーターとの大型契約を結ぶ一方で、プライアーはピザチェーンのオーナー、ラロッサとメネジメント契約を交わしました。

シュガー・レイ・レナードのデビュー戦がスポンサーからのボーナスを含めて10万ドル以上の報酬が約束されたのに対して、プライアーがプロ初戦で受け取ったファイトマネーはわずか400ドル。

それでも、デビューから戦線連勝を重ねると、地元シンシナティのテレビ局は彼の試合を生中継するようになります。

「とにかく目立つんだ!」というラロッサの指示で、プライアーは腕をぐるぐる回すボロパンチを繰り出し、アリシャッフルも踏みました。

クロスレンジで命のやり取りをするようなパンチの応酬を好み、ときに倒されても跳ね起きて、レフェリーにグローブを拭くタイミングも与えずに怒涛の逆襲を敢行する。

全米中継されなくとも、地元メディアはプライアーのスタイルに「ヘンリー・アームストロングの再来」と最大級の賛辞を送りました。

「プライアーはジュニアウェルター級でデビューしたがライト級がベストだったのは間違いない。のちにウェルター級で対戦交渉するロベルト・デュランと1970年代末にライト級で戦っていたら?私は多くの専門家とは意見が違う。壮絶な試合になっただろう、そしておそらくプライアーがノックアウトしていたはずだ」(ショウタイムの解説者・ボクシング専門家スティーブ・ファーフッド)。

虚々実々のボクシング界でも、プライアーが強いことは誰もが認めていました。

しかし、誰もが知りたい問題は…プライアーがどこまで強いのか、だったのです。

契約上の問題からデュラン戦は合意に至らず、アンジェロ・ダンディが「プライアーと戦うとなるとレナードのボクシングが崩れてしまう」と危惧しながらも、最初のオファーはレナード側が提示。それをプライアー側が拒否したというのが事実です。

フレームがはるかに大きいレナードがファイターとなってハーンズを打ち倒した直後でしたから、陣営は「潰されるには50万ドルの報酬は安い」「ダンディの言葉はいつものブラフだ」と怯えたのです。

実際に戦っていたら…?
 
身長168㎝/リーチ175㎝のプライアーは、レナードの178㎝/188㎝の壁を突き破ることは難しかったでしょう。一方的な展開と残酷な結末になっていたかも知れません。

しかし「170㎝/168㎝のデュランをレナードは一度も叩きのめすことが出来ずに、距離を取る戦いしか出来なかった。プライアーのサイズが逆にハマる可能性もある。何よりも、プライアーはデュランよりも速く、その踏み込みははるかに鋭い」(元リング誌編集長ナイジェル・コリンズ)という見方も無視できません。

プライアーがボクシングファンの想像力を駆り立てて止まないのは、その戦闘スタイルに加えて、すぐ上のウェルター級に魅惑的なファイターが溢れていたからです。 

プライアーはどこまで強いのか?

誰もが知りたい、その答えは、なんと下の階級から上がってきたレナードと同じ身長で、レナードよりもスタイリッシュでクールな男がもたらしてくれることになります。

レナードよりもスタイリッシュでクール。

あの時代はもとより、近代ボクシング150年の歴史のどこをどう探しても、そんな男はたった一人しかいません。

史上初の4階級制覇を賭けて当時30歳のニカラグアの貴公子が選んだのは、ソウル・マンビーやリロイ・ヘイリーのWBCではなく、プライアーの WBAでした。

「プライアーとやるのは穴王者のWBCを獲って4階級制覇してからでも遅くはない」と助言するメディアに貴公子は答えます。

「遅かれ早かれやらなければならないし、あなたたちのその物言いは今のWBCを獲っても、私が最強だと認めないということでしょう。そんな4階級制覇には何の意味もない。とにかく面倒な遠回りは、私の性に合わないんだ」。

1982年11月12日。フロリダ州マイアミ、オレンジボウル。

ただひたすらに強敵を追い求めた二人の願いが、叶う日時と舞台が整いました。