もはや雲を掴むような話ではなくなった、日本ボクシング史上最大のメガファイト。

日本人が戦った最も価値のある相手はファイティング原田のエデル・ジョフレ(1960年代PFP1位)で誰も異論はないでしょうが、カネロも現在PFP1位。世界最高のボクサーの1人と認められています。

赤毛のメキシカンが2020年代でも1位になるのは難しいかもしれませんが、ジョフレに次ぐ価値ある相手と言っても差し支えないでしょう。

そして、日本人が戦った最も大きな名前は、ガッツ石松のロベルト・デュランで、これも対抗馬は見当たりません。
ただし、デュランは世界のトップランナーではなく、シュガー・レイ・レナードとマービン・ハグラーが主役を務めた大舞台の名脇役でした

カネロは間違いなく傑出した主役で、為替換算してもレナードやハグラー、マイク・タイソンを報酬で凌駕する問答無用のスーパースターです。
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 「カネロ、まさかの大番狂わせで東京に堕つ!」。そんなニュースが世界のボクシングメディアを駆け巡るまで、あと少しです。

そんな実力と人気で世界最高のボクサーが日本の村田諒太と拳を交える可能性が高まっているのです。

気がかりな点としては、人気でしょうか。正確に言うと「日本での人気」です。

タイソンが 東京ドームに初めて登場した1988年、WBA/WBC/IBFの主要3団体のベルトをコンプリートしていた21歳は、日本でも世界でも一番有名なアスリートでした。

日本での防衛戦が決まるや、トヨタやサントリーなど大企業がタイソンをコマーシャルに起用、新聞雑誌もこぞってタイソンを特集しました。

当時、タイソンを知らない日本人はほとんどいなかったはずです。

週刊新潮がスクープした最初の日程(5月24日)が後ろ倒しになったことは幸いでした。たった3ヶ月ではカネロの日本での認知度は低いままで 試合を迎えることになっていたのですから。

それでも、32年前のタイソンと比べるとカネロの名前は頼りなさすぎです。

今も昔も日本が経済大国であることに変わりはありませんが、当時はバブルに向かって加速〝カネ余り〟なんて言葉があちこちで聞かれた時代です。

将来に不安を抱えて倹約ムードが沈殿している現在とは、何もかも違います。

しかし、そんな不安を一気に払拭してくれるのは、カネロと対戦するのが村田だという一点です。

今では大成功だったと伝えられているタイソンの東京ドーム2試合(1988年/1990年)の入場者数は、主催者発表の「5万1000人」「5万1600人」は事実ではありません。

あれだけ空席が目立っていたのにフルハウスの大盛況だったわけがありません。

そして、そもそも東京ドームにはアリーナ席を増設しても5万1000なんて入りません。

もちろん、白井義男の4万5000人も事実ではありません。
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日本で事実と大きく異なるストーリー(その多くが捏造された美談です)が流布されているタイソン像 と同様に、あの2試合もダークサイドを抱えていましたが、今は無かったことにされています。

「お祭りの粗探しをするな」ということです。

カネ余りのバブルを迎える狂気に沸いていた日本はゴッホのひまわりを買うように、マイク・タイソンを招聘したのです。

当然、いろんな瑕疵がありました。

それでも、虚飾と欺瞞が渦巻いていたとはいえ、32年前に東京ドームで世界的なメガファイトが行われた事実に変わりはありません。

32年の時を経て、東京ドームで行われるメガファイトと、村田に勝機はあるのか?をじっくり考えてゆきます。