小さい頃の夢はプロ野球選手になること。漫画家になること。
。。。。。誰でもいろんな夢を見るんでしょうが、才能が無いくせに諦めが悪くて、どちらも叶いませんでしたが…。
4月4日に池袋での仕事ついでに立教大学の赤煉瓦を見た足でトキワ荘の残骸を辿りました。
あの頃は春でしたが…8ヶ月ぶりの再開です。
立教大学キャンパスから早足で椎名町駅へ。すぐに「トキワ荘ゆかりの地 散策マップ」を発見。
「トキワ荘は豊島区椎名町5丁目(現・南長崎3丁目)にあったアパート。1953年(昭和28)年、その2階に手塚治虫が入居したことから「伝説」が始まりました。家賃は3000円、押入れ付き4畳半の部屋でした」。=南長崎花咲公園に建つ「記念碑 トキワ荘のヒーローたち」から=
豊島区も「マンガの聖地 としま」としてモニュメントの建立など色々な事業を手がけているようです。
トキワ荘の足跡を探しながら、南長崎駅まで。なんと駅前交番はトキワ荘!徹底しています。
1950年代から60年代、あの頃の面影は今の街並みに残っていませんが、モニュメントや交番は違和感なくそこにありました。
長らく書庫の奥で眠っていた「章説 トキワ荘の青春」(石ノ森章太郎)を読み返しました。
自宅には「少年たちのためのマンガ家入門」も物置の奥底にあるはずです。
初めて歩いた椎名町から南長崎の道。
阪神の片田舎に住んでいた少年にとって、新宿や渋谷よりも先に知った東京の町の名前です。初めて歩いた町とは思えない、親近感を楽しむことができました。
そうです、あれこれ想像を数え切れないほど巡らせた町です。違和感などあるはずがありません。
ここを手塚治虫や藤子不二雄、石森章太郎らが歩いたのかーー。
ボクシングでいえばカナストータ、野球ならクーパースタウン、マンガなら椎名町〜南長崎の街全体が神が住む殿堂です。
。。。。。誰でもいろんな夢を見るんでしょうが、才能が無いくせに諦めが悪くて、どちらも叶いませんでしたが…。
4月4日に池袋での仕事ついでに立教大学の赤煉瓦を見た足でトキワ荘の残骸を辿りました。
あの頃は春でしたが…8ヶ月ぶりの再開です。
立教大学キャンパスから早足で椎名町駅へ。すぐに「トキワ荘ゆかりの地 散策マップ」を発見。
「トキワ荘は豊島区椎名町5丁目(現・南長崎3丁目)にあったアパート。1953年(昭和28)年、その2階に手塚治虫が入居したことから「伝説」が始まりました。家賃は3000円、押入れ付き4畳半の部屋でした」。=南長崎花咲公園に建つ「記念碑 トキワ荘のヒーローたち」から=

トキワ荘の足跡を探しながら、南長崎駅まで。なんと駅前交番はトキワ荘!徹底しています。
1950年代から60年代、あの頃の面影は今の街並みに残っていませんが、モニュメントや交番は違和感なくそこにありました。
長らく書庫の奥で眠っていた「章説 トキワ荘の青春」(石ノ森章太郎)を読み返しました。
自宅には「少年たちのためのマンガ家入門」も物置の奥底にあるはずです。
初めて歩いた椎名町から南長崎の道。
阪神の片田舎に住んでいた少年にとって、新宿や渋谷よりも先に知った東京の町の名前です。初めて歩いた町とは思えない、親近感を楽しむことができました。
そうです、あれこれ想像を数え切れないほど巡らせた町です。違和感などあるはずがありません。
ここを手塚治虫や藤子不二雄、石森章太郎らが歩いたのかーー。
ボクシングでいえばカナストータ、野球ならクーパースタウン、マンガなら椎名町〜南長崎の街全体が神が住む殿堂です。




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