最近、機会が少なく見ていませんが、プロレスが好きです。

自己プロデュースがあれほど求められるスポーツ(ショウ)は他にありません。
 プロレスはプロセスである。

BigShotSKさんがコメント欄で触れてくれた村松友視の『私、プロレスの味方です 金曜午後八時の論理』は、プロレスとは何かをこれ以上無いわかりやすさで解析してくれた大傑作でした。

村松の「プロセス」は試合の流れ、ストーリーをメインに語ったことでしたから、昨日の「プロフェッショナル 仕事の流儀」で井上が語った「(このドキュメンタリーで)伝えて欲しいのは裏のストーリー、プロセス」とは趣が異なります。


そして「亀田家」に向けて放ったとしか思えない「勝てる相手を選んで世界チャンピオンっておかしい」「井上家では『世界チャンピオン』なんて軽々しくは絶対に言えなかった」という言葉以上に、印象に残ったのが「プロセスを見て欲しい」という発言です。

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「いきなりここまで来たわけじゃない。そのプロセスを見て欲しい」。つまり、悪戦苦闘、試行錯誤しているところを伝えたい、というのです。

やはり井上と同様に「自分は天才じゃない」と反発したイチローは逆に、数多くのドキュメンタリーを録らせながら真剣な練習風景にカメラが入ることを極端に嫌いました。

普通は、それが当たり前です。 上手くいかない自分は誰だって晒したくありません。

その典型は、長嶋茂雄でしょう。プロセスを見せずに派手な結果だけを披露する。

長嶋のスタイルはプロセスには目もくれずに(公害や差別などそこにどんなマイナスが生じようとも)、繁栄という結果だけを夢見て目指すことが出来た、日本が最も元気だった時代のシンボルでした。

長嶋茂雄は、井上やイチローと違い「天才」と呼ばれることを快く受け入れ、ファンが期待した「長嶋像」を忠実に演じた正真正銘のスーパースターです。 

時代背景や、何よりアスリートとしての性格が全く異なるだけに単純比較など出来るわけがありません。

ましてや、長嶋なんて比較対象として最も異質なサンプルです。

そんな長嶋が、2004年に脳梗塞で倒れてしまいます。高度経済成長、元気な日本の象徴だった長嶋が倒れたニュースは、明日の見えない21世紀の日本にとっても残念で暗いニュースでした。

そして、あれほど懸命な練習風景を隠した長嶋が厳しいリハビリに挑む姿を何度も公開し、複数のドキュメンタリーまで録らせたことに、私は居心地の悪い違和感を覚えてしまいました。

国民が期待する「いつも明るくて前向きで元気な長島」を演じてきたのに、野球の練習すら見せたがらなかったのに、どうして老いて脳梗塞に倒れて、生きることにのたうち回っている姿を日本中に晒すのか?

…しかし、よくよく考えてみると長嶋は「ファンが描いた長嶋像」を演じたり「高度経済成長の日本を代表していた」りする「結果」を演じていたのでは、きっとなかったのです。 

畢竟、長嶋はいつだって日本を応援していたのです。

長嶋を応援していると思っていた日本人は、実は長嶋に応援してもらっていたのです。長嶋から勇気をもらっていたのです。

現役時代と闘病時代。真逆のアプローチですが、日本を勇気づけたいという、日本に向けて強烈な応援メッセージを送りたいという動機付けは寸分違わず全く同じだったのです。

恐るべき一貫性です。


そして、井上。 

「天才じゃない、努力の原風景を見てくれ」。井上の言葉が今のボクシング界を現しているのだとしたら…。

この世界が「結果ではなく中身(プロセス)が抜けている」という苛立ちなのだとしたら、まさにその通りです。



出張先に向かう新幹線の中で駅弁を頬張りビールをグビグビしながら、とりとめもなく書いてしまった、まとまりのないお話でした。

晴れて富士山が綺麗に見える日中の新幹線移動も好きですが、静かな夜の街が流れ去ってゆく、こんな新幹線の車窓も嫌いじゃありません。

明日は「NUMBER〜ボクシング総力特集 KO主義」が発売されます。リング誌にまで遅れをとって、やっとこさ井上をカバーしたNUMBERは許しがたいですが、万事どんなに遅くても遅すぎることはありません。

マストバイです!

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※ちなみに私は長嶋の活躍をリアルで体験出来ませんでした。友人の家の立派なステレオセットでピンク色の小さく薄く陳腐なソノシートにレコード針を落として、長嶋の引退試合での有名な言葉を聞いたのが、私の明確な「長嶋体験」です。


聞かせてくれた友人の父親が泣いていました。それが不条理なまでに滑稽に見えてしまったことを、はっきりと思い出します。

もちろん、今では不条理とも滑稽だとも思いません。あの時代に生きた大人の男が泣くーー長嶋茂雄とはそういう存在だったのです。