井上尚弥が「そこから見える風景を見たい」と憧憬するマニー・パッキャオを語るとき、史上唯一無二の8階級制覇や満場一致のPFPキングに何度も輝いたことを真っ先に挙げる人はいません。


オスカー・デラホーヤのメガファイト、その前座でリーロ・レジャバを粉砕して鮮烈な米国デビュー。

誰もが不可能と決めつけたPFP3位マルコ・アントニオ・バレラを、主審まで含めた360度完全敵地のアラモドームで圧倒したテキサスの決闘。

バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケス、どうしてメキシコの歴史的な強豪がここまで同時代に揃いも揃ったのか、神の配剤としか思えない幸運を満喫。

ボクシングファンが試合が成立したことに首を傾け、フィリピン国会では試合中止命令が議決されたデラホーヤ戦では、もはや人間の想像力を超えた理解不能の本物の怪物だったことを世界に告知。

そしてデラホーヤ戦から11年後、40歳を過ぎた今も「テレンス・クロフォードとエロール・スペンスは本当にパッキャオに勝てるか?」とまで囁かれる現在。

 


一方で井上は「世界評価の高さ」「圧倒的な勝ち方」で語られます。対戦相手の質の高さが語られることはありえません。
IMG_3107WBSSへの関心が非常に低い米国ですが、リング誌11月号では「11月7日にバンタム級決勝が日本で行われる」と2行だけ紹介されています。


その世界評価はリング誌とESPNでPFP4位。

かつて長谷川穂積や西岡利晃をランクインさせたBoxing Scene.com ではPFP2位で2014年の年間最高選手(アムナット・ムエンロンらと賞を争ったことからもBoxing Scene.comが特殊な視点を持つサイトだとよくわかります)まで獲得しています。


井上はリング誌の10年PFPで60年代5位のファイティング原田、70年代10位の具志堅用高に遅れは取るものの、特に最近の日本人ボクサーとしては内山高志と山中慎介を上回る屈指の高評価を集めています。

何よりもまだ26歳。強豪と戦う時間は十分残されています。

これまで、日本人にとって高く厚い壁だったリング誌PFPですが、井上に先立ち、内山と山中がリング誌PFP入りをしていることからも世界で2番目に歴史のあるボクシング専門誌の世界評価が日本に擦り寄って来ていることは明白です。

世界評価では現在の井上を凌駕するドネアやロマゴンが一度も単独カバーに採用しなかったリング誌ですが、井上は今年だけで2度も表紙を飾らせています。

これからも低くなる一方のリング誌PFPのハードルを越えていく日本人が、続々生まれることは、容易に想像できるでしょう。

すでに井岡一翔と田中恒成はウェイティングサークルに入っていますし、かつては田口良一も〝王手〟をかけていました。また来年、京口紘人vs拳史朗が実現すると勝者のPFP入りは間違いありません。

ただ、井上を筆頭に「誰に勝ったのか」という命題には、どのボクサーも沈黙してしまうのが悲しい現実です。

アドリアン・エルナンデスやオマール・ナルバエス、エマヌエル・ロドリゲスを完全に破壊した戴冠劇が圧倒的だったことに異論はありませんが、彼らを含めて井上の対戦相手には一発殿堂クラスのグレートはもちろんPFPファイターすらも見当たりません。


もっと条件を緩和してPFP予備軍や元PFPまで広げても、やはり誰も見当たりません。

今回対決するドネアで、ようやく元PFP(7年前)と拳を交えることになります。

ドネアが世界初挑戦でビック・ダルタニアンという軽量級にはあるまじき金鉱を掘り当てたのに対して、井上はいまだに浅い河川で石コロを集めているのが現実なのです。

もちろん、こんなの運です。運でしかありません。

井上が「強い奴と戦いたい」とどんなに希求しても、目の前にいないんですから。メキシカンにしても日本に来るようなショボいのしか、今の軽量級にはいないんですから。 

軽量級にもかかわらず一発殿堂確実のPFPファイターが3人(それも全員メキシコ人!)も雁首揃えて待っていたパッキャオの強運には呆れ果てるしかありません。

しかし、井上もかつて籍を置いていたジュニアバンタムにはシーサケット・ソールンビサイやファン・フランシスコ・エストラーダ、ドニー・ニエテスと小粒とはいえ3人もPFPファイターが揃っています。

井上信者は「彼らが逃げた」というかもしれませんが、現実には「減量が限界だった」ということです。

もし、シーサケットとエストラーダ、ニエテスの3人全員から接戦でも勝利を収めていたら、井上のPFP4位にケチをつける輩は1人もいなかったでしょう。

もちろん「井上は弱い相手にしか勝っていない」という批判には「誰に勝ったわけでもないオレクサンダー・ウシクもPFPなんだから、井上もいいんじゃね?」というロジックはありでしょう。

ただ、井上の評価はハリボテの虎です。「弱い相手を派手に転がしているだけ」のボクサーがのちの時代でも評価されることはありません。

井上と同じように弱い相手に圧倒的勝利を重ねていたゲンナディ・ゴロフキンが今朝、明らかな劣化の綻びを露呈しました。もちろん、相手のデレビャンチェンコはGGGのキャリアで屈指の強豪ですが、世界の目は厳しい限りです。

TRIPLE G LOOKS GOOD ONLY AGAINST TOMATO CANS. Triple Gは弱い雑魚相手ならめっぽう強かったけど…。 

このままだと、いつかTRIPLE Gがモンスターに置き換えらる日もやって来るでしょう。

もし、全盛期にアンドレ・ウォードの挑発に答えてスーパーミドルに上げていたら?「スパーリングで互角以上」と伝えられたセルゲイ・コバレフと戦っていれば?

17連続KO防衛や20連続防衛という上っ面の数字には届かず、こっぴどい惨敗を喫して、今より評価を落としていたかもしれません。

しかし、プロテクトされることのない非メキシカン、非米国人、非プエルトリカンが米国で頂点を極めるにはチャンスを待つだけでは絶対にダメです。

アンダードッグを突きつけられるファイトを勝ち抜かなければならないのです。「そんな不公平な世界だとは知らなかった」なんて言わせません。最初からわかってたはずです。

もちろん、ゴロフキンはカネロを超えるスターにはなれなかったとはいえ今日の試合でも750万ドルのキャッシュとDAZNの運営会社から同額750万ドルの株式が贈られ1500万ドル相当を手にする見込みです。

トップではないものの、十分過ぎるスーパースターです。ミドル級がどんな階級なのかが、よく伝わります。軽量級で同じことをやっても、これほどの報酬が約束されることは絶対にありません。

それでも、やはりゴロフキンにはもっと上に行くチャンスがあったはずです。



井上は37歳のGGGとは違いまだ26歳です。時間は十分残されているように思えますが、残されたプライムタイムは限られています。

ベンガル虎と同じように井上もまた〝絶滅危惧種〟です。

もっと正確に言うと井上のピークが「絶滅危惧」です。2〜3年後にはカラータイマーが鳴り始めてもおかしくありません。

ベンガル虎の最後の一頭が息絶える前に、井上の全盛期は終わることは間違いありません。

このまま穴階級のバンタムやジュニアフェザーで雑魚相手に無双を続けて「そこ」を目指すのか。

それとも、心地良い浅瀬を離れて禁断の沖合に船を漕ぎ出して「そこ」を目指すのか。

どちらの方法でも、現在の低く緩いハードルでは「そこ」つまりPFP1位に辿り着くことが出来るでしょう。

そして、遥かに安全確実なのは前者です。誰に勝ったわけでもないのに4位まで評価されたのですから、これからも誰に勝ったわけでもなくても1位まで登れるでしょう。

ただ、それでPFPキングになっても長谷川穂積や西岡利晃、内山高志、山中慎介らが慣れ親しんだ港湾の全景は目にすることが出来るでしょうが、遥か沖合の大海原、「パッキャオの見た風景」などチラ見すら出来ません。