鈴木雄介が50㎞競歩で世界陸上・史上5人目の金メダルを獲得しました。

世界選手権で日本人が金メダルを獲得したのは、5人目、種目ではマラソン(1991年東京大会:の谷口浩美、93年シュツットガルト大会:
浅利純子、97年アテネ大会:鈴木博美)、ハンマー投げ(2011年大邱大会:室伏広治)に続く3つ目。

鈴木は50㎞競歩は日本記録、20㎞競歩では世界記録保持者で今大会でも優勝候補の一角に挙げられていましたから、優勝は驚くべき結果ではありません。

ただ、先の金メダリスト4人、注目度の高いマラソンに、日本人にとって難攻不落の投擲種目で傑出したパフォーマンスを見せた室伏と比べると日陰感は否めません。

マラソンで日本記録を出せば1億円の報奨金が日本陸連から贈られますが、競歩では日本はもちろん世界記録を出してもそんな報奨金はもらえません。

マラソン好きの日本人でも4時間を超える競歩はさすがに観てられない。どうして歩かなきゃいけないの?地味すぎる。長距離選手の落ちこぼれがやる種目…。

浅はかな知識から発露される偏見や揶揄に晒されるのはマイナー競技の宿命です。

観戦するには長すぎる。見ていて面白くない。

正直、私もそう思います。陸上競技に勤しんでいた時代、身近に競歩の選手がいなかったということも大きいかもしれません。

しかし、だから競歩には存在意味がない。とはなりません。

当たり前ですが、短距離や中長距離での「走り」も基本は「歩き」です。

「そりゃそうだろうけど、競歩の走り方は不自然で、そのメカニクスが短距離や長距離に活かされるなんてことはない」とお思いかもしれません。

しかし、それは大間違いです。

日本でも世界でも競歩のメカニクスを「走り」に還元する試みは、当たり前に実践されています。

競歩の歩き方は、決して不自然な動きではなく「走り」に必要なメカニクスの宝庫なのです。

カール・ルイスを指導したトム・テレツら、競歩の動きに走りの本質が隠されていることに気づいた世界の指導者たちは全くもって少数派ではありません。

日本で競歩の動きから「走り」の理想を追求した最も有名なアスリートは伊東浩司です。20年以上も前の1998年に男子100mのアジア記録10秒00を樹立したグレートです。

伊東は今村文男(世界陸上50㎞競歩で2度入賞・現在は鈴木をコーチ)と一緒に練習し、その歩行動作に衝撃を受けたといいます。

「骨盤の動きを利用して推進力を生み出し、体を素早く前に進めていく競歩は走りの基本。この動きを獲得することが走りを極まることになる」。
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その通りです。 

かつて、落合博満は2年目のキャンプで
土肥健二の柔らかいバットさばきにインスパイアされ、あの独特のバッテイング技術を完成させました。

土肥は捕手として14年の現役生活を送り、通算打率2割6分8厘。もし、落合がいなければとっくに忘れ去られている選手です。

当時、土肥に助言を請う落合を「あんな奴から学ぶことは何もない」と決めつけるコーチもいたと言います。「もっと実績のある選手からこそ学べ」と。

本当に凄いアスリートは本質を簡単に見抜いてしまうのです。

本気で上手くなりたい、速く走りたいと渇望するアスリートは「溺れる者」かもしれません。

溺れる者は藁をも掴む。

蒙昧な衆愚の目には藁にしか見えなくても、実はそれが黄金の束であるなんてことは、スポーツに限らずどんな世界でも珍しくありません。

暗愚な私たちの目には無用の藁にしか見えい競歩にはあらゆるスポーツの根幹をなすエッセンスが凝縮されているのです。

鈴木雄介、偉大な歩きでした。おめでとうございます!!!