勤務先に近いにもかかわらず、外国人をはじめ観光客が溢れかえって言ういる築地にはなるべく近寄らないようにしています。

それでも、お昼をずらしたりして、評判の天ぷら屋や海鮮のランチに時間差攻撃を仕掛けることもあります。

何しろ食べ物屋が多く、そのほとんどは当たり前ですが和食系です。
IMG_2726
豊洲への市場移転はあったものの、場外はほぼそのまま残り、連日大勢の観光客で賑わっています。

築地は東京はもちろん、日本でも最も和のテイストが楽しめる街ですが、意外にもかつては異国情緒と学術的な雰囲気に溢れるハイカラな土地だったようです。


明暦三年(1657年)の明暦の大火で消失した浅草御門南の西本願寺を建立するために、埋め立て造成されたのが築地の始まりです。

西本願寺、今の築地本願寺です。

そして1868年、明治元年。日本は新時代を迎えます。その翌1969年には築地の地に外国人居留地が作られアメリカンスクールはもちろん、積極的に異文化を吸収しようとする日本の知識人らがここに教育施設を続々と建てることになります。

築地で産声をあげた学校は専修、慶應義塾、立教、女子学院など、今もその名を残す有名私立が挙げられます。

専修大学は、正確には今の東銀座にあった明治会堂を借り受けて校舎にして、創始されました。

FullSizeRender
福沢諭吉の発案で建てられた明治会堂は明治14年(1881年)竣工の政治演説公会堂です。

明治初期に建てられ、大正12年(1923年)の関東大震災で消失してしまう、典型的な赤煉瓦建築の生涯を辿りました。


現在、在りし日の明治会堂を伝えてくれるものは、錦絵くらいしか残されていませんが、案内プレートには「瓦葺き木造二階建て」とありますから、この建物は赤煉瓦建築ではなさそうです。

それでも、建物の礎石や門柱はその色合いからも赤煉瓦が一部使われていた可能性が充分にありそうです。

今となっては確かめようもありませんが。
FullSizeRender


それにしても、慶応グループによって建てられた明治会堂で専修大が発祥したというのも、今は無関係の両大学ですが親近的な時代があったのですね。

専修大はスポーツ強豪校のイメージはないかもしれませんが、陸上競技でもボクシングでも一部校で、スポーツ全般に強い、私たちなど歯牙にもかけてもらえなかった一流校です。

今はどこにキャンパスを構えているのでしょうか…調べてみると神保町に本部があって、川崎市多摩区の生田キャンパスというのがでかいですね。

立派なタータントラックも備えているようです。

明治会堂は、明治17年に厚生館と改称しましたが、この名はその後建てられた雑協ビルに今も残っており、薄暗く古いビルのエントランスには明治公会堂の錦絵が飾られてます。