今朝、今月16日で36歳になるノニト・ドネアが圧倒的不利予想を覆してライアン・バーネットに5ラウンド1秒で勝利、WBAスーパーとWBCダイアモンドの二つのバンタム級タイトルをコレクションしました。

棚ボタ感もある勝利とはいえ、4月にカール・フランプトンに敗れたときは「今がグローブを吊るすベストタイミング」というメディアも多かったのですが、見事にもう一花咲かせてくれました。

そのドネアをもってしても、この激しいスポーツの世界で「40歳を超えて現役を続ける」という超人の世界に足を踏み入れるには、まだ丸4年もの長い時間を戦い続けなくてはなりません。

超人たちの物語、第二回です。




⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑥:イベンダー・ホリフィールド⌛️

★Post–40 careers=12戦6勝4KO5敗1無効試合(世界戦0勝3敗)/通算成績=44勝29KO10敗2分★

ヘビー級王座に5度就いた不撓不屈のリアルディールです。

統一クルーザー級王者から、ヘビー級を制覇。

リディック・ボウとの激闘、マイク・タイソンに連勝、レノックス・ルイスへの果敢な挑戦…ビッグネームとの名勝負は2試合にわたって繰り広げられ、その勝負根性に世界中のボクシングファンが感動しました。

40歳を迎えての初戦が2002年12月に空位のIBF王座を争ったクリス・バード戦。3−0の判定で落としてしまいます。

5年後の2007年、44歳でスルタン・イブラギモフのWBOバージョンに挑戦、この試合も3−0で敗北。

2008年11月、今度は46歳でニコライ・ワルーエフのWBAに挑みました。

身長189㎝と小さなホリフィールドが、2m13㎝の巨人と果敢に打ち合う姿は、スポーツではなくスペクタクルなショーでした。この試合も2−0のMDで敗れ、POST-40での戴冠はなりませんでした。

香川照之がWOWOWエキサイトマッチのアニバーサリーに際して、真っ先に「最も印象に残っているボクサー」に挙げたのがホリフィールドでした。

圧倒的な強さで君臨したクルーザー級、大男相手に勇気と根性で打ち合ったヘビー級。そして、40歳を過ぎても戦い続けたリアルディールがついに引退したのは2011年、48歳になっていました。





⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑤:ロベルト・デュラン⌛️

★Post–40 careers=25戦18勝9KO7敗(世界戦0勝1敗)/通算成績=103勝70KO16敗★

1989年2月、WBCミドル級王者アイラン・バークレーをSDで攻略、四階級制覇を果たしたとき、石の拳は37歳。

POST–40の25戦では、1998年8月にWBAミドル級王者ウィリアム・ジョッピーに挑戦したのが唯一の世界戦でした。

このときデュランは47歳、ジョッピーは27歳。20歳も若い王者に果敢に挑みましたが3ラウンドで老雄の夢は打ち砕かれてしまいます。

得意のインファイトに持ち込むも、ジョッピーのショートがデュランの顔面を何度も揺らし3ラウンドにロープに詰めてメッタ打ち。ここでジョー・コルテスが割って入って、試合終了。

竹原慎二から強奪したタイトルの5度目の防衛に成功したジョッピーは「小さい頃から憧れていたアイドルを傷つけてしまった。本当はやりたくなかった。こんな悲しい勝利はない」と嘆きました。

一方のデュランは、やはりデュラン。
「これで引退だ。この試合の報酬25万ドルが米国国税局に差し押さえられているんだ。税金滞納分の22万5000ドルを払えと脅されている。そんな金額を払ったら、いくらも残らないじゃないか。退職金として22万5000ドルは俺にくれ」。

当然、差し引かれてしまいましたが、引退は撤回、2001年7月に39歳のヘクター・カマチョとの伝説対決に敗れて、今度こそ引退。

石の拳は50歳になっていました。
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かつて二人はライト級とヘビー級のプロボクサーでした。ヘビー級のボクサーは左右、どっちでしょう?




⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.④:ラリー・ホームズ⌛️

★Post–40 careers=24戦21勝10KO3敗(世界戦0勝2敗)/通算成績=69勝44KO6敗★ 

ジョージ・フォアマンはモハメド・アリに敗れた、キンシャサの奇跡に苦悩し続けました。

ラリー・ホームズはアリに勝利したにもかかわらず、アリの幻影を拭い去ることが出来ませんでした。

二人ともにアリの重しに押しつぶされるようにして引退し、そしてそれを吹き払うがためかのようにリングに舞い戻ってきました。

ホームズの最初のキャリアはボクシング史に残る傑出したものでした。

23歳のプロデビューから48連勝、ロッキー・マルシアノの〝世界王者としてのパーフェクトレコード:49勝0敗〟まであと1勝に迫り、ヘビー級王座は20度も連続防衛の成功していました。

しかし、ホームズには賞賛よりも明らかに多くの皮肉や批判、揶揄が集められました。

「アリのコピー。それなのに華がない」「王者に勝たずして王者になったペーパーチャンピオン(WBCはケン・ノートンとの決定戦/IBFは試合すらしないで認定)」。

そして、肝心要の〝49−0〟がかかった大一番では、マイケル・スピンクスに僅差判定負け。「ライトヘビー級王者に敗れてタイトルを明け渡した史上初のヘビー級王者」という決定的に不名誉な烙印を押されてしまいます。

スピンクスには再戦でも敗れて、一旦は引退します。

しかし、2年後の1988年「ドン・キングの甘言」にそそのかされてチューンナプ無しでのマイク・タイソンとの世界タイトルマッチのリングに上がってしまいました。

「大金が稼げるだけじゃない。正当な評価を得られなかったお前が〝アリの猿マネ〟から〝タイソンを倒した伝説〟に変わる大きなチャンスだ」。

しかし、現実は「ライトヘビー級王者に負けたアリの猿マネ」に「タイソンに粉砕された」が付け加えられてしまっただけでした。

しかし、タイソンは勝利者インタビューを受けたリング上で「ホームズのジャブに対応するのは難しかった。ブランク明けの38歳でこれほど強いのだから、全盛期だった勝てなかっただろう」と吐露しています。

打ちひしがれたホームズは「体が鈍っていた。調整試合をすべきだったがキングにサインを急かされた。負け惜しみじゃない、再戦したら勝てるが、キングはそのチャンスを与えないだろう。タイソンはいつかジャバーに倒される」と予言、2度目の引退を宣言します。

それでも、1991年2度目のカムバックを果たすと5連勝、1992年2月にソウル五輪金メダリストで18戦全勝13KOのレイ・マーサーに3−0の判定勝ち、大番狂わせを起こしました。

WBO王者マーサーはマイケル・モーラーとの指名試合を拒否してホームズ戦を選んだことでタイトルを剥奪されていたため、6年ぶりの王座復帰は叶わなかったものの、42歳にしてまだ世界レベルの実力を持っていることを世界に示しました。

この勢いで6月にイベンダー・ホリフィールドが腰に巻くWBA/WBC/IBFの3本のベルトに挑みますが、惜しくも判定負け。

それでも7連勝して、1995年4月にオリバー・マッコールのWBCタイトルに挑戦するも判定負け。このとき45歳だったホームズがグローブを吊るしたのは2002年、なんと52歳になっていました。