「放送100年 スポーツ名場面 歴史を彩ったヒーロー・ヒロイン 」
[総合] 午後7:30 【司会】伊集院 光、副島萌生アナウンサー 【出演】岡田結実、田口 壮、テリー伊藤、中澤佑二、増田明美、吉田沙保里 ※五十音順
日本初のスポーツ実況はおよそ100年前、1927年にさかのぼる。現在の“夏の甲子園”に当たる当時の「全国中等学校優勝大会」がラジオで中継放送されたのが始まりだ。そして今、大リーグでの大谷翔平選手の活躍は一挙手一投足がリアルタイムで日本中に伝えられている。 プロ野球、オリンピック、大相撲、サッカー日本代表…100年の間にスポーツのさまざまな名場面がラジオ・テレビの中継放送で届けられ、数多くのヒーローやヒロインの輝きを私たちは感じ取ってきた。その歩みを多彩なゲストとともに振り返る。
⬆︎会社で録画を見ました。
野球、相撲、五輪、サッカー…日本のスポーツ史を彩ってきた競技の100年間、そのクライマックスを振り返る内容で、みんなでワイワイ言いながら楽しく見ることが出来ました。
日本でも完全マイナー競技に転落したボクシングが取り上げられなかったのは仕方がないのかもしれませんが、サッカーで「中田英寿」が一切触れられなかったことには、多くの人が違和感を覚えたようです。
もちろん、中田は「カズ」のようなエポックな存在でも「野茂英雄」のようなパイオニアでもありませんが…。

スポーツ中継 視聴率 歴代トップ10 は、相撲やプロ野球は食い込むことができず、1位から10位までの全てで、日本人が世界に挑戦した「国際試合」が占めました。
最近の人はプロレスとボクシングがランクされているのに戸惑うかもしれませんが、力道山もファイティング原田も紛うことなき「日本代表」だったのです。
世界選手権「国際試合」「日本代表」という色彩が最も鮮烈な色彩になるのはサッカーですが、このスポーツに日本人が目覚めてからまだせいぜい30年しか経っていません。
それまで、ボクシングの世界タイトルマッチは日常的に日本人が世界に挑む姿を応援できる唯一のスポーツだったのです。
プロレスとボクシングはショーか真剣勝負かの違いこそあれ、同じ理由で没落していきました。
それはタイトルマッチの格です。国際試合としての色彩はどちらも希薄化してしまいましたが、プロレスはショーであることを受け入れ、新たなファンや魅力を創造することに成功しました。

10階級のチャンピオンたち。いまなお誰もが知っている名前がズラリ。
一方でボクシングは団体と階級の喜劇的な増殖に対して、特に日本ではまともな議論が起きることはなく「穴王者」や「雑魚挑戦者」という表現が憚れらる空気の中で、「階級が細分化されているのはそれだけ階級の壁が大きいから」「世界王者は強い」「世界ランカーに弱い奴はいない」ということをそのまま信じているファンまで存在します。
個人競技でありながら2試合もトップ10に名前を刻んでいるファイティング原田は、いまでは考えられない異常な存在だったと想像出来ます。
原田の時代は、オリジナル8にジュニアライト級とジュニアウエルター級が加わった10階級時代でしたが、軽量級はフライ級とバンタム級、フェザー級だけ。もちろん、認定団体も一つだけの時代でした。
「サッカーなどのメジャースポーツで本物の国際試合を目の当たりにしてしまったから、ボクシングは衰退した」という意見も多く聞かれますが、このスポーツが本物の国際試合のオーラをまとっていた時代が、確かにあったのです。
[総合] 午後7:30 【司会】伊集院 光、副島萌生アナウンサー 【出演】岡田結実、田口 壮、テリー伊藤、中澤佑二、増田明美、吉田沙保里 ※五十音順
日本初のスポーツ実況はおよそ100年前、1927年にさかのぼる。現在の“夏の甲子園”に当たる当時の「全国中等学校優勝大会」がラジオで中継放送されたのが始まりだ。そして今、大リーグでの大谷翔平選手の活躍は一挙手一投足がリアルタイムで日本中に伝えられている。 プロ野球、オリンピック、大相撲、サッカー日本代表…100年の間にスポーツのさまざまな名場面がラジオ・テレビの中継放送で届けられ、数多くのヒーローやヒロインの輝きを私たちは感じ取ってきた。その歩みを多彩なゲストとともに振り返る。
⬆︎会社で録画を見ました。
野球、相撲、五輪、サッカー…日本のスポーツ史を彩ってきた競技の100年間、そのクライマックスを振り返る内容で、みんなでワイワイ言いながら楽しく見ることが出来ました。
日本でも完全マイナー競技に転落したボクシングが取り上げられなかったのは仕方がないのかもしれませんが、サッカーで「中田英寿」が一切触れられなかったことには、多くの人が違和感を覚えたようです。
もちろん、中田は「カズ」のようなエポックな存在でも「野茂英雄」のようなパイオニアでもありませんが…。

スポーツ中継 視聴率 歴代トップ10 は、相撲やプロ野球は食い込むことができず、1位から10位までの全てで、日本人が世界に挑戦した「国際試合」が占めました。
最近の人はプロレスとボクシングがランクされているのに戸惑うかもしれませんが、力道山もファイティング原田も紛うことなき「日本代表」だったのです。
世界選手権「国際試合」「日本代表」という色彩が最も鮮烈な色彩になるのはサッカーですが、このスポーツに日本人が目覚めてからまだせいぜい30年しか経っていません。
それまで、ボクシングの世界タイトルマッチは日常的に日本人が世界に挑む姿を応援できる唯一のスポーツだったのです。
プロレスとボクシングはショーか真剣勝負かの違いこそあれ、同じ理由で没落していきました。
それはタイトルマッチの格です。国際試合としての色彩はどちらも希薄化してしまいましたが、プロレスはショーであることを受け入れ、新たなファンや魅力を創造することに成功しました。

10階級のチャンピオンたち。いまなお誰もが知っている名前がズラリ。
一方でボクシングは団体と階級の喜劇的な増殖に対して、特に日本ではまともな議論が起きることはなく「穴王者」や「雑魚挑戦者」という表現が憚れらる空気の中で、「階級が細分化されているのはそれだけ階級の壁が大きいから」「世界王者は強い」「世界ランカーに弱い奴はいない」ということをそのまま信じているファンまで存在します。
個人競技でありながら2試合もトップ10に名前を刻んでいるファイティング原田は、いまでは考えられない異常な存在だったと想像出来ます。
原田の時代は、オリジナル8にジュニアライト級とジュニアウエルター級が加わった10階級時代でしたが、軽量級はフライ級とバンタム級、フェザー級だけ。もちろん、認定団体も一つだけの時代でした。
「サッカーなどのメジャースポーツで本物の国際試合を目の当たりにしてしまったから、ボクシングは衰退した」という意見も多く聞かれますが、このスポーツが本物の国際試合のオーラをまとっていた時代が、確かにあったのです。
コメント
コメント一覧 (1)
井上選手も今後フェザーを完全統一してもかなりの偉業ですが、原田さん越えは厳しいかな?
フシ穴の眼
が
しました