「PFPって、全然どうでも良くて。誰が一番強いか?そんなんタイソン・フューリーに決まってるじゃないですか」。
フューリーがオレクサンデル・ウシクに連敗した日に何ですが、村田諒太の発言の意図は「ヘビー級が最強」ということです。
ウシクがやってしまったことは、もはや村田の言葉も超越しています。
55ポンドもの体重差をものともせずに、大巨人と互角以上に渡り合ったのです。
井上尚弥が122ポンドのままで、53ポンド重い175ポンドのアルツール・ベテルビエフと真っ向から打ち合うようなものです。〝体重分母〟が違うとはいえ、そこは大きな問題ではありません。
ウシクは数少ないサンプルですが、どうしてヘビー級ではそんなことが起こりうるのでしょうか?その答えは、ヘビー級では最強の拳が殴り合っているのにどうしてリング禍が少ないのか?という問いの答えまで飲み込んでしまいます。
彼らは、最強の自分だけを追求するからです。
PFPの面白いところは、突きつめると「どこまで詭弁術を弄することができるか?」ということです。
〝軽量級〟ウシクですら220ポンドを超えるヘビー級と、105ポンドのオスカー・コラーゾでは220:105、全く勝負になりません。
しかし「pound for pound、1パウンド当たり=体重同一時」の強さを考えると、コラーゾのように軽快なフットワークと回転力のあるパンチを繰り出せるヘビー級は稀です。
もし、身長157㎝のコラーゾが105ポンドの動きをキープして、身長2mまで巨大化すると、ウシクですら手に負えないでしょう。
もちろん、こんなイフはありえません。ネズミのようにすばしっこいゾウなど存在しないのです。
しかし、こんなイフ、妄想、PFPを弄さなければ体重リミットのある16階級はいつまでたってもヘビー級の下僕のままです。
PFPとは畢竟、弱者の言い訳です。
この妄想がボクシングメディアで最初に大きく取り上げられたのは、1950年代に活躍したシュガー・レイ・ロビンソンへの同情からでした。
今以上にヘビー級が絶対的だった時代、現代ボクシングの技術体系を完成させたロビンソンの素晴らしさは専門家や一部マニアにこそ認められていたものの、多くのファンにとってボクシングとはヘビー級であり、1950年代ならロッキー・マルシアノでした。
当時のPFPとはロビンソンその人を指す尊称であり、定期的に発表されるランキングも存在しませんでした。
再び、PFPが定期的に取り上げられるのは1980年からリング誌がスタートさせたBEST FIGHTER POLL(年間PFP)から。毎年行われるリング誌アワードの賞の一つに追加されたのでした。
「1980年」。この頃、ボクシング界は大きな危機に直面していました。
団体分裂でスポーツとしての信頼が失われ、人気も下落する中で、60年代から唯一の太陽であったモハメド・アリのキャリアが終わろうとしていたのです。
当時、米国人選手が出場する五輪ボクシングは決勝まで生中継されており、モントリオール大会のライトウエルター級で金メダルを獲得したシュガー・レイ・レナードは国民的英雄の1人になっていました。
しかし「レナードはシュガー・レイの名前を継いだようにロビンソンの後継者になれるだろう。しかし、アリの後継者にはなれない。なぜならヘビー級ではないから」という意見が圧倒的でした。
現代のようにウエルター級がヘビー級に並ぶメガファイトになるなんて、想像もできなかった時代です。
そう、まともにアピールしてもファンは見向きもしない。
犬猿の仲だったボブ・アラムとドン・キングが共同プロモートしたWBCウエルター級王者レナードと、ライト級から1階級飛ばして挑戦した伝説ロベルト・デュランの一戦は、レナード思い出のモントリオール・オリンピック・スタジアムで開催されるなど、無敗のレナードに用意された舞台でした。
そして、ヘビー級へのアンチテーゼとなるリング誌の第1回Best Fighter Pollにはレナードが就くはずでした。
ところが、現実には伝説がまさかの番狂せを起こしてしまいました。
そして、ここからアラムにもキングにも見えなかった大きな歯車が周り始めるのです。

第1回Best Fighter Pollはデュラン。そして第2回はトーマス・ハーンズ。
デュランにリベンジ、ハーンズとの「史上最高試合」に勝利〝遠回り〟したレナードが1位になるのは第3回のこと。
そして、やっと主役の座に就いたレナードも〝1年天下〟で、PFP1位の座は対戦するには階級の壁が大きすぎるミドル級のマービン・ハグラーに渡ってしまうのでした。
しかし…。
デュランとの初戦に敗れ、ハーンズとのThe Show downで大接戦を演じたレナードがPFP1位にすんなりなれず、人気が伸び悩んでいたひたすら強いだけのハグラーが1位で安泰ーーーそれは、誰の台本にもなかった、求められざる現実のはずでした。
ところが、このカオスは「誰がハグラーに勝てるのか?」という究極の命題を生み出し、予定調和を好まないファンの興味を強烈に惹きつけることになるのです。
PFPは弱者の言い訳。その通りで、一片の弁解もできません。
デュラン、レナード、ハーンズ、ハグラー、4KINGSのラウンドロビンがボクシングファンを熱狂させたのは、彼らの個性が爆発した試合そのものが面白かったのであり、もはやBEST FIGHTER POLL、PFP1位が誰なのかなど、誰も興味がなくなっていたのです。
ーーーーそういうことです。
PFPというくだらない呼び物でファンの関心を引こうとしても、ファイターが、試合が本物でなければ認められません。
というか、PFPに権威があるとか言ってる人でその歴史や背景を知ってる人がどれだけいるのでしょう?きっと、最近、PFP知った人ばかりでしょう。
世界的にはもっとボヤッとしたもので(そもそもボヤッとした妄想ですが)、井上尚弥を「PFP1位」と呼んでも間違いではありません。もちろん、ウシクやテレンス・クロフォードも。
PFPを発表するメディアの冒頭によくあるのは「正解も不正解もない。自分の好きなファイターが評価されてなくても、真剣に考えずにみんなで妄想を楽しもう」という但し書きです。
でもでもでも、このブログでは「PFPにはなんの意味もない!」という立場は取りません。
PFPはすなわち詭弁です。
例えば井上やクロフォードを「本当は最強じゃないけど最強ってことにする屁理屈を考えよう」ってことなんですから。
詭弁を弄するのは、これは反スポーツ的ですが、だからこそ面白い。
ところが、そこに「本当に最強のウシクが最強」なんてことなると、それはもう詭弁ではなくなってしまうのです。
せめて、ウシクがナチュラルなヘビー級なら良かったのですが…。
冗談抜きで、詭弁から完全に外れているウシクはPFPにカウントすべきではありません。
PFPとは井上やクロフォードでも「pound for pound、1パウンド当たり=体重同一時」ならヘビー級にでも勝てるという屁理屈、詭弁なのに、体重非同一時、それも尋常でない非同一時で勝ってしまうウシクの存在は厄介極まります。
フューリーがオレクサンデル・ウシクに連敗した日に何ですが、村田諒太の発言の意図は「ヘビー級が最強」ということです。
ウシクがやってしまったことは、もはや村田の言葉も超越しています。
55ポンドもの体重差をものともせずに、大巨人と互角以上に渡り合ったのです。
井上尚弥が122ポンドのままで、53ポンド重い175ポンドのアルツール・ベテルビエフと真っ向から打ち合うようなものです。〝体重分母〟が違うとはいえ、そこは大きな問題ではありません。
ウシクは数少ないサンプルですが、どうしてヘビー級ではそんなことが起こりうるのでしょうか?その答えは、ヘビー級では最強の拳が殴り合っているのにどうしてリング禍が少ないのか?という問いの答えまで飲み込んでしまいます。
彼らは、最強の自分だけを追求するからです。
PFPの面白いところは、突きつめると「どこまで詭弁術を弄することができるか?」ということです。
〝軽量級〟ウシクですら220ポンドを超えるヘビー級と、105ポンドのオスカー・コラーゾでは220:105、全く勝負になりません。
しかし「pound for pound、1パウンド当たり=体重同一時」の強さを考えると、コラーゾのように軽快なフットワークと回転力のあるパンチを繰り出せるヘビー級は稀です。
もし、身長157㎝のコラーゾが105ポンドの動きをキープして、身長2mまで巨大化すると、ウシクですら手に負えないでしょう。
もちろん、こんなイフはありえません。ネズミのようにすばしっこいゾウなど存在しないのです。
しかし、こんなイフ、妄想、PFPを弄さなければ体重リミットのある16階級はいつまでたってもヘビー級の下僕のままです。
PFPとは畢竟、弱者の言い訳です。
この妄想がボクシングメディアで最初に大きく取り上げられたのは、1950年代に活躍したシュガー・レイ・ロビンソンへの同情からでした。
今以上にヘビー級が絶対的だった時代、現代ボクシングの技術体系を完成させたロビンソンの素晴らしさは専門家や一部マニアにこそ認められていたものの、多くのファンにとってボクシングとはヘビー級であり、1950年代ならロッキー・マルシアノでした。
当時のPFPとはロビンソンその人を指す尊称であり、定期的に発表されるランキングも存在しませんでした。
再び、PFPが定期的に取り上げられるのは1980年からリング誌がスタートさせたBEST FIGHTER POLL(年間PFP)から。毎年行われるリング誌アワードの賞の一つに追加されたのでした。
「1980年」。この頃、ボクシング界は大きな危機に直面していました。
団体分裂でスポーツとしての信頼が失われ、人気も下落する中で、60年代から唯一の太陽であったモハメド・アリのキャリアが終わろうとしていたのです。
当時、米国人選手が出場する五輪ボクシングは決勝まで生中継されており、モントリオール大会のライトウエルター級で金メダルを獲得したシュガー・レイ・レナードは国民的英雄の1人になっていました。
しかし「レナードはシュガー・レイの名前を継いだようにロビンソンの後継者になれるだろう。しかし、アリの後継者にはなれない。なぜならヘビー級ではないから」という意見が圧倒的でした。
現代のようにウエルター級がヘビー級に並ぶメガファイトになるなんて、想像もできなかった時代です。
そう、まともにアピールしてもファンは見向きもしない。
犬猿の仲だったボブ・アラムとドン・キングが共同プロモートしたWBCウエルター級王者レナードと、ライト級から1階級飛ばして挑戦した伝説ロベルト・デュランの一戦は、レナード思い出のモントリオール・オリンピック・スタジアムで開催されるなど、無敗のレナードに用意された舞台でした。
そして、ヘビー級へのアンチテーゼとなるリング誌の第1回Best Fighter Pollにはレナードが就くはずでした。
ところが、現実には伝説がまさかの番狂せを起こしてしまいました。
そして、ここからアラムにもキングにも見えなかった大きな歯車が周り始めるのです。

第1回Best Fighter Pollはデュラン。そして第2回はトーマス・ハーンズ。
デュランにリベンジ、ハーンズとの「史上最高試合」に勝利〝遠回り〟したレナードが1位になるのは第3回のこと。
そして、やっと主役の座に就いたレナードも〝1年天下〟で、PFP1位の座は対戦するには階級の壁が大きすぎるミドル級のマービン・ハグラーに渡ってしまうのでした。
しかし…。
デュランとの初戦に敗れ、ハーンズとのThe Show downで大接戦を演じたレナードがPFP1位にすんなりなれず、人気が伸び悩んでいたひたすら強いだけのハグラーが1位で安泰ーーーそれは、誰の台本にもなかった、求められざる現実のはずでした。
ところが、このカオスは「誰がハグラーに勝てるのか?」という究極の命題を生み出し、予定調和を好まないファンの興味を強烈に惹きつけることになるのです。
PFPは弱者の言い訳。その通りで、一片の弁解もできません。
デュラン、レナード、ハーンズ、ハグラー、4KINGSのラウンドロビンがボクシングファンを熱狂させたのは、彼らの個性が爆発した試合そのものが面白かったのであり、もはやBEST FIGHTER POLL、PFP1位が誰なのかなど、誰も興味がなくなっていたのです。
ーーーーそういうことです。
PFPというくだらない呼び物でファンの関心を引こうとしても、ファイターが、試合が本物でなければ認められません。
というか、PFPに権威があるとか言ってる人でその歴史や背景を知ってる人がどれだけいるのでしょう?きっと、最近、PFP知った人ばかりでしょう。
世界的にはもっとボヤッとしたもので(そもそもボヤッとした妄想ですが)、井上尚弥を「PFP1位」と呼んでも間違いではありません。もちろん、ウシクやテレンス・クロフォードも。
PFPを発表するメディアの冒頭によくあるのは「正解も不正解もない。自分の好きなファイターが評価されてなくても、真剣に考えずにみんなで妄想を楽しもう」という但し書きです。
でもでもでも、このブログでは「PFPにはなんの意味もない!」という立場は取りません。
PFPはすなわち詭弁です。
例えば井上やクロフォードを「本当は最強じゃないけど最強ってことにする屁理屈を考えよう」ってことなんですから。
詭弁を弄するのは、これは反スポーツ的ですが、だからこそ面白い。
ところが、そこに「本当に最強のウシクが最強」なんてことなると、それはもう詭弁ではなくなってしまうのです。
せめて、ウシクがナチュラルなヘビー級なら良かったのですが…。
冗談抜きで、詭弁から完全に外れているウシクはPFPにカウントすべきではありません。
PFPとは井上やクロフォードでも「pound for pound、1パウンド当たり=体重同一時」ならヘビー級にでも勝てるという屁理屈、詭弁なのに、体重非同一時、それも尋常でない非同一時で勝ってしまうウシクの存在は厄介極まります。
コメント
コメント一覧 (3)
フシ穴の眼
が
しました
カムバック戦して、すぐまた引退した記憶があるんですが。
フシ穴の眼
が
しました