1981年といえば、まだ私が「プロ野球選手になるんだ」と、何の根拠も実力も覚悟も素質もないながら、思い込んでいた時代です。

今もほとんど変わらないMLBや各チームのマークが包み紙にプリントされたフーセンガムが流行っていましたが、MLBの情報などゼロに等しい時代でした。

「メジャー」なんて言葉は一般的でなく、太平洋の向こうにある最高峰リーグは誰もが「大リーグ」と呼んでいました。

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UNREAL!(ありえねー!)ーーー大谷翔平のことではありません。

そんな時代に、テレビのニュースや新聞で大きく取り上げられたのがフェルナンド・バレンズエラです。

ヒスパニック時代の前夜も前夜、メジャーの選手のほとんどが米国内から供給されていた頃です。


「英語を話せない怪物が大リーグで大活躍!」。


チャレンジ精神だけを胸に、裸一貫で成り上がったメキシコ人は、開拓者魂を何よりも大切にする米国で抱きしめられただけでなく、日本でも驚きを持って受け入れられました。

ジャッキー・ロビンソンにバレンズエラ、人種に関係なく才能を尊敬し、受け入れる、そんなドジャースの懐の深いDNAに、私が初めて気付かされたのもバレンズエラによってでした。

この球団が野茂英雄を迎えたときも「バレンズエラ」の名前を新聞や雑誌、ニュースで何度見聞きしたことでしょう。

米国は、異国から当然現れた野茂にバレンズエラをオーバーラップさせていたのです。

そして、野茂は「フェルナンド・マニア」を継承して「ノモ・マニア」を生み出し、やはり同じようにメジャーリーグにセンセーションを巻き起こしました。

ワールドシリーズでは2連敗のあとの第3戦に先発して勝利、勢いに乗ったドジャースがそこから怒涛の4連勝で世界チャンピオンになったのでした。

そう、あのときの相手もNYヤンキースでした。

フェルナンド・バレンズエラが亡くなったこと、そしてまだ63歳の若さだったことに今更ながら驚いています。

高校時代には、スポーツイラストライテッド誌のカラフルなページが伝えてくれるバレンズエラの活躍をワクワクしながら貪り読んだものでした。

バレンズエラは、当時からすでに「生きる伝説」のオーラを発散させていました。



このブログでは何度も書いていることですが、私は彼の住居も連絡先も知りません。実際に見たことすらありません。

彼が天国に召されてしまって、もう電話をかけても出てくれないんだとか、もう遊びに行っても一緒にビールを飲むこともないんだ、なんて間柄ではありません。当たり前ですが。

私の心の中では、フェルナンド・バレンズエラは伝説のまま、不滅の大投手のままで、永遠に生き続けています。


ありがとう、フェルナンド・バレンズエラ。


そういえば、スポイラの記事は数えきれないほど読んだはずなのに、何も思い出せません。

ちょっと探してみて、見つかれば読み直してみるつもりですが、一気に思い出して、高校時代の記憶なんかもぐちゃぐちゃに溢れ出してしまうと、ボロボロ泣いちゃうかもしれません。

会社や帰宅電車の中で検索して読むのは控えて、夜中に一人で泣くことにします。