それにしても、藤井聡太や羽生善治のような研ぎ澄まされた現代棋士が、昭和の奥深くに埋没した時代遅れの棋士の棋譜を見て感銘を受けるなんてことがあるのだろうか?

藤井や羽生が、升田幸三や小池重明に何か感銘することがあるとしたら、伝説へのリスペクトを超えるものではなく、技術的には何も学ぶことなどないはずだ。

しかし、勝負のアヤが初歩的なミスであったり、あるいはAIが大混乱に陥るのは定石から外れた戦法である事実を考えると、升田幸三は藤井や羽生を大きく戸惑わせること、彼らを相手に大番狂せを起こすことは十分に考えられ  





1982年2月27日、東京広尾は羽澤ガーデン。

引退して3年が経っていた升田幸三は63歳。

名人二名、棋王・棋聖と現役のトッププロを次々に轟沈させてきた35歳の小池が圧倒的有利と見られ、事実、小池は優勢に試合を進めていた。

升田は小池の猛攻を、誰も見たことがない新手「飛頭の玉」で対抗する。見たこともない奇手を目の前にした百戦錬磨の真剣師・小池は両目をまん丸に見開いたまま硬直してしまった。

盤上のロープ・ア・ドープである。

それでも小池は攻め続けた。

8五歩を置いた小池は、升田が9四金と逃げる、そしてこの対局は終わると確信した。それまでロープぎわでゆらゆら揺れてるだけの元全冠独占王者をついに追い詰めたはずだった。

しかし、升田は下がらずに初めて前に出た。あっさりと8五同金と金歩の交換に応じると、形勢は100%逆転、あっという間に小池は破れ去った。

茫然自失する小池は「飛頭の玉、あんなのは一度も見たことがない」と呻くように絞り出すのが精一杯だった。

升田は「私も見たことがない、今まで誰も使ったことがない新手だ。素人は8五歩を打たされたのもわからなかっただろう。君は私がプロだということを忘れていた」と言い放った。

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小池が「素人とプロの違いはなんですか」と聞くと、升田は「素人は駒を動かすだけだが、プロは駒を指す」と、短く、しかし完璧な答えを教えてみせた。

ガックリと肩を落とす小池に、升田は「将棋を指せるようになりたいなら、ちょうどいい相手がいる」と励まされた。

「そいつもまだまだ将棋を指せないが、あんたと同じように必死に駒を動かして、あんたと同じようにほんの少しだけ才能がある」。

升田が「少しだけ才能がある」と語ったのは、仲人までつとめた〝神武以来(じんむこのかた)の天才〟加藤一二三だった。

升田との伝説の一戦からわずか1週間後、千駄ヶ谷の将棋会館で行われた対局でも小池は171手目で敗れてしまう。

それでも小池は1990年までトッププロと死闘を演じ、1992年に亡くなるまで将棋を〝指し〟続けた。

升田はこのメガファイトで絶局。公式戦の舞台には2度と姿を現すことがなかったが、羽生善治らと囲碁を、ときには海外の要人の熱烈なリクエストでとチェスも楽しんだという。

囲碁とチェスの試合は「何百回もやって負けたことは一度もない」(升田)。

そして、小池が亡くなる1年前の1991年に心不全のため73歳で息を引き取る。

藤井聡太は、升田が史上初めてやってのけた全冠独占の4代目、加藤の持っていた14歳7ヶ月の史上最年少棋士の記録を更新する。

しかし、今の藤井も全盛期の羽生も升田には勝てないだろう。

ましてやAI如きでは、途中で煙を吹き出して機能不全になるのが関の山だ。