2023年6月24日、井岡一翔vsジョシュア・フランコ。来月7月25日、井上尚弥vsスティーブン・フルトン。

現在の日本のボクシングシーンは井上をフロントランナーに、井岡や寺地拳四朗、田中恒成、中谷潤人、那須川天心らが追走しています。

そんなトップランナーたちの試合でさえ、この1、2年という短い時間で地上波TVから消えてしまいました。

凡庸な世界チャンピオン(なんと矛盾を孕んだ言葉でしょう!)は4-Belt eraにおいて、世界チャンピオンというだけで一般のスポーツファンの目にとまることは極めて難しい時代になりました。

かつて、ボクシングは世界で戦う日本人を応援できる、数少ないスポーツの一つだった時代もありました。

大きく潮目が変わったのは1990年代。Jリーグがキックオフ、サッカーW杯がどれほど大きな大会かを日本人も肌感覚で知る時代になりました。

そして、野茂英雄がMLBの扉をコジ開けたのは、まさに〝逆黒船〟。それは、全く種目の違うプロボクシングにも影響を及ぼします。

野茂や中田英寿、イチローが見せつけた〝本物の世界〟。日本で騒ぐ本塁打記録や連続防衛記録ではなく、海外の本場、最高峰の舞台で大きな注目を集めて、その熱気を伝える報道が日本に逆輸入されることが、イコール世界で活躍することだという当たり前のことを思い知らされたのです。

それなのに、他のスポーツが世界の最高峰を目指す時代になったというのに、ボクシングは超軽量の小さな井戸の中から出ようとしないばかりか、軽量級への関心がほとんどない欧米で、さも需要があるかのような妄言やフェイクニュースを流し続けてしまいます。

そして、日本でも米国でも社会的な地位や国民的関心度の点からボクシングは没落の一途を辿っています。

1981年に引退した具志堅用高を最後に、このスポーツから国民的英雄は生まれていません。

辰吉丈一郎も亀田興毅も村田諒太も井上尚弥も…国民的英雄というには、あまりにも欠けているものが多すぎるのです。

それは、1981年にシュガー・レイ・レナードがボクサーとして最後のSportsman Of The Yearに輝いた米国とも時期的に酷似しています。

マイク・タイソンもオスカー・デラホーヤもフロイド・メイウェザーもマニー・パッキャオもカネロ・アルバレスも… Sportsman Of The Yearーー今はESPY賞(大谷翔平は受賞)にそのステイタスは取って代わられましたが、いずれにしても彼らは米国を代表するアスリートに選出されたことは一度もありません。

そして、それは、25歳でSportsman Of The Yearに選ばれながら40歳で引退するまで、ついに2度目が訪れなかったレナードにしても同じことです。

ボクシング史上に残る偉業を成し遂げたパックマンも、Forbes誌のアスリート長者番付でメジャースポーツのスター選手を圧倒的したマネーも、一般的なスポーツファンの間では認知度すら低い、PPVという高い敷居の中で行われるマイナースポーツのヒーローでしかありませんでした。


ーーー私がプロボクシングに魅せられた1980年から、今日までの40年余り。

プロボクシングは米国と日本でどんな道程を辿って没落していったのか?

当時の専門誌なども材料に、その降下の軌跡を追いかけてみます。

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1980年4月に創刊したばかりのNumber誌がボクシングを特集したのは、その年の5月20日発売号。

「ザ・チャンピオン 具志堅用高」。

具志堅はこの年だけで4度も特集されます。

しかし、10月に行われた13度目の防衛戦でペドロ・フローレスに大苦戦。

翌年、3月の再戦では惨敗。グローブを吊るしてしまいます。

Number誌の創刊があと5年早ければ、具志堅は何度特集されたのでしょうか。

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この〝具志堅用高〟号では「ビル・ロジャースが愛し、勝ったボストン・マラソン」という記事も。

当時の日本ボクシングは黄昏時を迎えていましたが、マラソン人気は黄金時代を迎えていました。

1980年のモスクワ五輪はソ連のアフガニスタン侵攻に抗議するために、日本は米国に従ってボイコット。

そんなタイミングで、瀬古利彦はキャリアのピークを迎えようとしていました。

ロジャースは1975年にボストン初制覇、78年から80年まで三連覇を達成したスーパースター。79年は瀬古もボストンに挑戦しましたが、ロジャースに敗れて2位に終わります。

それでも、2時間10分12秒の世界歴代9位、学生最高記録をマークしました。

そして、81年にはロジャースを破って優勝。

あの頃。ボクシングもマラソンも、メジャースポーツと言っても、なんら差し支えのない存在でした。

そして、当時は日本の国内外問わずサッカーはマイナー競技。MLBも興味関心の対象になり得ない、遠い遠い存在にすぎませんでした。

ボクシングの世界タイトルマッチはゴールデンタイムに生中継されるのが当たり前。

いまはなき福岡国際マラソンや東京国際マラソンもまた、日本人が戦える世界の大舞台でした。