ゴールデンウィーク。

友達のお見舞いに千葉まで行った帰りに南千住で下車。

お目当ては「東京スタジアム」。もう存在しない大毎オリオンズのホームグラウンド、その遺構が残っているかもとお散歩しましたが、何も発見できず空振り。

しかし、「旧千住製絨所煉瓦塀」という赤煉瓦の遺構を、偶然見つけてしまいました。。

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日本のプロ野球は、メジャーリーグを追いかける歴史でした。

目指していたのは、当たり前のことですが、フィールドの中の選手たちだけでなく、スタジアムについても同じでした。

私がプロ野球に興味を持ってから、最初に「.メジャー級のスタジアム」という触れ込みでオープンしたのは、今では信じられないでしょうが西武球場でした。

その後も、メトロドームを模した東京ドームに、ボールパークを意識した楽天モバイルパーク宮城、今年話題のエスコンフィールド北海道など〝挑戦〟は絶え間なく続いています。

そんなフィールド・オブ・ドリームスの、はじめの一歩が「東京スタジアム」でした。

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千住の住宅地の真ん中に、ナイターともなると巨大な宝石のように輝くスタジアムは「光の球場」呼ばれました。

1962年完成、ダイアモンドにも天然芝を敷いたメジャー式の球場はSFジャイアンツのキャンドルスティックパークを参考にして設計されました。確かによく似ています。

1972年シーズンで閉鎖。再開が期待されながらも、5年後の1977年に解体。

「東京スタジアム」…「スタシアム」に見えるかもしれません。

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安心してください。「点々」はちゃんと下↓に付いていますよ。 (とにかく明るい安村風)
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わずか10年という短命で終わってしまった「光の球場」。もちろん、私はその姿を拝んだことは、残念ながら一度もありません。生まれる前に完成して、上京した頃にはとっくの昔に解体された後でした。

その跡地をぐるっと回ったところ「東京スタジアム」を偲ばせるものは、何一つ見当たりませんでした。

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「南千住六丁目45番1号」という住所を辿ると荒川総合スポーツセンターと南千住警察署、そしてスポーツセンターが管理する南千住野球場がありました。

このスポーツセンターのプールは、北島康介少年が通っていたことで有名です。

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きっちりマウンドもある、ベンチもある、ナイター設備まである!

立派な野球場です。ムラムラしてきますねぇ。

「東京スタジアム」の名前を継がせたいところですが、観客席がありません。

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荒川工業高校。高校時代の私となら噛み合いすぎる、悪い奴らがいっぱい巣食ってそうです…すみません、名前から勝手に連想した偏見です。


そして、至近にあるスーパー・ライフの脇に忽然と現れるのが旧千住製絨所煉瓦塀。

明治12年(1879年)創業の官営工場、千住製絨所煉瓦を取り囲んでいた煉瓦塀の一部です。煉瓦塀の建設年代は明治44年(1911年)から大正3年(1914年)頃だそうです。

富国強兵の一環として軍服用絨(毛織物)の本格的な国産化のための工場でした。

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律儀なイギリス積みの見事な赤煉瓦。「官営工場」って感じです。

エロチックではありませんが、110年以上の時空を超えて、真面目で実直なオーラを2023年に放ってくれています。

この辺り一帯が千住製絨所で、昭和36年(1961年)に閉鎖された跡地に建設されたのが、東京スタジアムだったということではないでしょうか。

となると「東京スタジアム」の痕跡を探しに歩いた時点で、この赤煉瓦塀と遭遇するのは必然だったとも言えます。

そして、私のような気まぐれ散歩人間など足元にも及ばない、散歩のプロフェッショナルである松尾芭蕉が有名な「矢立ての初め(やたてのはじめ)」を記したのが千住大橋。

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そして、千住といえば、葛飾北斎の狂信的信者である私にとって、教祖様が冨嶽三十六景で「武州千住」「隅田川関屋の里」「従千住花街眺望ノ不二」の3枚も描いている聖地でもあります。

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いやあ、北斎、ヤバいわぁ。


「おくのほそ道」で芭蕉の相棒(弟子)だったのが河合曾良。私の突発的お散歩にも小さな相棒がいましたが、それはまた別の話で。