ジュニアフェザー級を語るとき、必ず向き合わなければならないのが「ウィルフレド・ゴメス」です。

よく言うと「今でもゴメス」、悪く言うと「いまだにゴメス」。

それほどゴメスが傑出して強かったということ、です。

そして下のバンタム級と上のフェザー級のビッグネームとの激しい戦い、つまり「誰と戦ったのか?」という命題がバズーカ・ゴメスの印象を極彩色にしているのです。

アンダードッグと見られながら、驚異のKOパンチャー、カルロス・サラテを迎えた防衛戦を番狂せで飾った母国プエルトリコのサンファンでの快勝。

逆にフェイバリットでサルバドール・サンチェスに挑戦、8ラウンドでストップされたシーザースパレス。

バンタム級屈指のピッグパンチャーを撃ち落とし、フェザー級史を代表する万能選手に跳ね返されたゴメスは、まさにジュニアフェザー級を象徴するファイターでした。

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そして、この階級ではアジアからも大きな花火がいくつも打ち上げられました。

南アフリカでアーノルド・テイラーを破ってWBAバンタム級王者になった洪秀煥は、またしても敵地パナマでエクトル・カラスキリャとのWBAジュニアフェザー級初代王者決定戦で2ラウンドに4度倒されながら、3ラウンドで大逆転KO勝利を収めます。

ファイティング原田に次ぐアジア史上2人目の2階級制覇は、韓国では「四転五起神話」と呼ばれるまさに伝説となっています。



タイでは「芸術」、日本では「貴公子」と呼ばれたサーマート・パヤクアルンもまた、122バウンドを鮮やかな色彩に染めたスター選手でした。

あのルペ・ピントールを5ラウンドでノックアウトしてWBCタイトルを獲得、23歳のサウスポーはこの時点で「日本には呼んではいけないファイター」「日本で見ることのできないファイター」になります。

しかし、サーマート(天からの授かりもの)の異名を持つハンサムな若者は享楽に流された生活を改善できません。

それでも初防衛戦に成功、2度目の防衛戦で元世界バンタム級王者のオージーを迎えます。

また世界王者とはいえ、当時はマイナーだったIBF、天才貴公子の敵ではないと考えられていましたが…このオージーはのちの一発殿堂、ジェフ・フェネックでした。

4ラウンドでKOされたサーマートは、この試合を最後に世界戦線から消えてしまいます。

この試合で、サーマートは〝パッキャオの先駆け〟フェネックからプロ初のダウンを奪いました。

その才能が〝サーマート〟であったことは、彼を少し見ただけでわかるでしょう。

とんでもない才能でした。



サーマートとは逆に元バンタム級王者の挑戦を一蹴したのが、WBA王者ファン・ホセ・エストラーダ。

エンドレス・ファイター六車卓也の2階級制覇の夢を11ラウンドで打ち砕きました。



ダニエル・サラゴサも元バンタム級王者のサラテと決定戦を争いWBC王者に。

一度タイトルを失った後、畑中清詞からタイトルを奪って返り咲き。

元バンタム級王者の辰吉丈一郎の挑戦を2度退けました。



元WBAバンタム級王者ウィルフレド・バスケスは元WBC王者でWBAジュニアフェザー級王者ラウル・ベレスから大番狂せでタイトル奪取。

IBF王座を16度防衛し、当時バンタム級史上最高の議論にもあがったオルランド・カニザレスの挑戦も阻みました。

バスケスはフェザー級も制覇しますが、37歳のときナジーム・ハメドの生贄に供されてしまいます。



キコ・マルチネスもジュニアフェザー級の壁として、バンタム級王者・長谷川穂積の負けに立ち塞がり、ノニト・ドネアは、本物のジュニアフェザー級ギレルモ・リゴンドーにボクシングのレッスンを受けさせられてしまいます。



バンタム級王者からスタートしたアブネル・マレスとレオ・サンタクルスの人気者メキシカンは出来レースでフェザー級まで制覇しますが、彼らのジュニアフェザー級時代のインパクトは希薄。



IBFとWBAのジュニアフェザー級のストラップを束ねたカール・フランプトンは、サンタクルスとニューヨークとラスベガスでフェザー級でビッグファイトを繰り広げ、Fighter Of The Yearにも輝きました。



軽量級は欧米の死角ですが、アジアでは注目され、個性的なファイターを生み出してきました。

世界的にもメキシカンのサンタクルスやマレス、米国にファンベースのあるアイルランドの人気者フランプトンが絡むと、人気階級の中途半端なボクサーの試合よりも大きな注目を集めます。




7月25日、日本で井上尚弥の挑戦を受けるのはスティーブン・フルトン。

メキシカンでもアイルランド人でも、プエルトリコ人でもない、米国で最も〝蔑視〟される軽量級の小さな黒人です。

フルトンが井上との試合を希求し続けていたのは、ポール・バトラーらのように「目当てはカネだけ」ではないでしょう。

2年前にアンジェロ・レオを破って世界王者になったときから、フルトンは「軽量級の注目度や待遇はひどい」と悩み、その〝突破口〟を探していました。

フルトンが思い出したのは、井上尚弥がマディソン・スクエア・ガーデンよりも大きな会場でメインを張り、フルハウスの大観衆から応援されている、米国では絶対にあり得ない光景でした。

You know I’m going to have to go to Japan to fight (Naoya) Inoue.

「(尊敬される王者になるためには)日本に行って井上尚弥に勝たなければならない」。

7月25日まで、あと101日。

122パウンドの歴史に残る名勝負を期待しましょう。