高校野球広島大会・3回戦、英数学館2-1広陵、

広陵は優勝候補の大本命で、今春のセンバツにも出場。2回戦で昨夏Vの広島新庄を撃破していました。

優勝候補大本命の広陵が敗れました。

 中井哲之監督は「投手を計算してしまった」と、先を見据えた采配を猛省、「選手はよく頑張った。選手に申し訳ない。負けたのは監督の責任」と選手をおもんばかりました。

広島大会だけでなく、すでにあちこちで番狂わせが起きています。

純粋な番狂わせもあれば、広陵のケースのように決勝までを描いたデザインに落とし穴があるケースもあります。

…私事ですが、中学3年生のとき「これに勝てば県大会」という試合を落としました。

「きっちり勝つぞ!」と声を合わせながらも、練習試合で負けたことのない相手、格下相手という油断が、チームに確かにありました。

そんな練習試合、私はチームの主力選手の1人でしたが、県選抜の合宿帰りの直後で、ベンチでした。

県合宿のことを知らない対戦相手は、研究してたのに私が出てこないでベンチで笑ってるのを見て「舐められてる」と屈辱の思いだったそうです。

しかも、そんな舐められた(と思った)試合に負けてしまって悔しさは増幅したと、阪神大会決勝で私たちを下した試合後に教えられました。

私はその負け試合でもヒットや四球で出塁しましたが、盗塁を刺されました。

盗塁を刺されることはほとんどなく、アウトになるのは極端にスタートが遅れる、私のミスのときでした。

そのときは、捕手に殺されました。

兵庫や大阪の強豪校とも何度か手合わせしましたし、県選抜の合宿でも優秀な捕手はいました。

しかし、そのときの捕手は全く異次元の肩と、スローイングまでの動作が見たことのない速さでした。

私は二度、刺されました。盗塁を予想してベースの上でグローブを置いていた遊撃手が、本塁から真っ直ぐに伸びてくる送球に構えるのが見えました。

試合終了の挨拶にその捕手が私の名前を呼んで挨拶に来ました。塁上から見てても「大きいな」と思っていましたが、すぐ目の前で見ると見上げるほど大きかったです。

私は「そんな肩してんのに投手はやらへんの?」と尋ねた記憶がありますが、彼がなんと答えたかは覚えていません。

礼儀正しい彼とは高校の地区は離れて、名前は聞かなくなりました。

次に彼の名前聞いたのは、大学に入って東京から帰省したときでした。

あの捕手と同期の後輩が「アイツ大学でレギュラーです」と知らされて、嬉しくなると同時に、本当に凄いなと思いました。

彼の成長を帰省するたびに聞いていましたが、社会人に進んだ頃には地元の後輩たちから聞く必要がなくなり、彼はドラフトにかかってプロ入りしました。

二塁に滑り込む視界にベースカバーの野手のグローブが入り、そこに捕手からの送球が吸い込まれる…え?という光景は今でも覚えています。

高校時代の私は、プロ野球選手なんて夢は跡形もなく破壊され、自暴自棄になっていました。

それでも、野球部の仲間はもちろん、多くの人が支えてくれました。味方になってくれました。

高校3年生、最後の夏。その予選一回戦はなんという幸運か、甲子園が舞台でした。

公式戦で甲子園の土を踏めるのは勝ち抜いた高校生だけ、というわけではないのです。

ただ、不運だったのは普通ならシード高が、秋春の成績が悪くて1回戦で私たちと当たったことでした。

甲子園で応援できるということか、兼部していた陸上部の仲間や、学校の先生らも多勢駆けつけてくれましたが、惨めなとこを見られるのは嫌だなという思いが大きかったです…。