ゲンナディ・ゴロフキン のプロキャリアは2006年5月6日に始まり、15年に及びます。
ドイツでプロデビューした24歳の青年は39歳に成熟、デンマーク、パナマ、母国カザフスタン、ウクライナ、米国、モナコ、英国をタライ回し的にに転戦、12月29日には8カ国目となる日本のリングに上がります。
世界的に人気のあるミドル級でアテネ2004の銀メダリスト、プロでは歴史的な絶対王政を敷いたビッグパンチャーのGGGはサーカスライフを送り続けなければならない理由はカザフスタン人だからです。
もし、GGGがメキシコ人や日本人、米国人、英国人なら母国の絶大なサポートを背に米国や英国でメガファイトを繰り広げていたでしょう。
しかし、現実はカザフスタン人です。デビューの土地、ドイツではチャンスを与えられず、希望の米国ではニューヨークにもラスベガスにも定着できませんでした。
左ジャブから右につなげる画一的なスタイルを捨て「ビッグドラマショウ」と名付けた圧倒的で破壊的なボクシングは、ボクシングファンが最も歓迎するスタイルでした。
それなのに…。
人気ではカネロ・アルバレスやフリオ・セサール・チャベスJr.、ミゲール・コットはもちろん、セルヒオ・マルチネスやピーター・クイリンにも劣り、彼らとの対戦はついに叶いませんでした。
全盛期のGGGは〝人気階級の不人気選手〟でした。
カザフスタン人という以外にも〝嫌われた〟理由は、その爆発的な強さでした。
アベル・サンチェスが「初めて会ったときは合唱団の少年かと思った」という外見とは裏腹に、リングに上がるとビッグドラマショウという名の虐殺を冷徹に繰り広げる剥き出しの強さが、ビッグネームとの対戦を遠ざけてしまったのです。
「最強を証明したい」というのはあらゆるボクサーに共通する夢です。しかし、ビッグネームになると「それは大きな舞台でなければならない」という思いが強くなります。
それは、プロモーターにとってはもっと重要で切実な問題です。
恐ろしいほど強いが、商業的価値は恐ろしいほど低い…。そんな相手と誰が戦いたいと思いますか?
上質な技術と破格の強打を併せ持つ、リングの上ではどこまでも残酷なカザフスタン人と低報酬でも戦いたいボクサーが いるとしたら、GGGよりもはるかに無名で、はるかに商業的価値の低いボクサーたちだけです。
最初に拠点を置いたドイツでは、WBA王者フェリックス・シュトルムがスパーリングすら拒否するほどあからさまな逃避を繰り返し、その噂=GGG注意報=は世界中に広まっていました。
初めて世界タイトルを手にしたのは2010年8月14日、ミルトン・ヌネスを初回で破壊したWBA暫定、28歳のとき。
米国でも欧州でもない僻地で行われた試合でしたが、その動画はミドル級のトップボクサーを抱える世界中のプロモーターを恐怖のどん底に叩き落します。
当時30歳のヌネスは無名のコロンビア人でしたが、地域タイトルも獲得して戦績は21勝19KO1敗1分。
「GGGが強いのはわかってるが、どれだけ強いのかを測るには絶好のテスト」と見られていたヌネス戦の内容は「まだ強さの底が見えない」という次元のものでした。
そして〝注意報〟は、接触禁止の〝特別警報〟レベルに引き上げられ、世界中にサイレンが鳴り響きます。
世界ミドル級はGGGのWBAを結界で囲む、奇妙な戦線が形成されてしまうのでした。
最も価値のあるリング誌王者とリネラル王者はWBCのセルヒオ・マルチネスからコット、カネロとリレーされましたが、本当に強いのが誰であるかは誰の目にも明らかでした。
ゲンナディ・ゴロフキンというミドル級王者が地球上に存在していないかのように、コットやカネロが卑劣なキャッチウェイトでリング誌とWBCの防衛戦を続けたのは、2010年代のボクシングシーンで最も醜悪な光景の一つです。
戴冠から7年間、対立王者を抱えるプロモーターの間でGGGは死神のように忌避されることになります。
ドイツでプロデビューした24歳の青年は39歳に成熟、デンマーク、パナマ、母国カザフスタン、ウクライナ、米国、モナコ、英国をタライ回し的にに転戦、12月29日には8カ国目となる日本のリングに上がります。
世界的に人気のあるミドル級でアテネ2004の銀メダリスト、プロでは歴史的な絶対王政を敷いたビッグパンチャーのGGGはサーカスライフを送り続けなければならない理由はカザフスタン人だからです。
もし、GGGがメキシコ人や日本人、米国人、英国人なら母国の絶大なサポートを背に米国や英国でメガファイトを繰り広げていたでしょう。
しかし、現実はカザフスタン人です。デビューの土地、ドイツではチャンスを与えられず、希望の米国ではニューヨークにもラスベガスにも定着できませんでした。
左ジャブから右につなげる画一的なスタイルを捨て「ビッグドラマショウ」と名付けた圧倒的で破壊的なボクシングは、ボクシングファンが最も歓迎するスタイルでした。
それなのに…。
人気ではカネロ・アルバレスやフリオ・セサール・チャベスJr.、ミゲール・コットはもちろん、セルヒオ・マルチネスやピーター・クイリンにも劣り、彼らとの対戦はついに叶いませんでした。
全盛期のGGGは〝人気階級の不人気選手〟でした。
カザフスタン人という以外にも〝嫌われた〟理由は、その爆発的な強さでした。
アベル・サンチェスが「初めて会ったときは合唱団の少年かと思った」という外見とは裏腹に、リングに上がるとビッグドラマショウという名の虐殺を冷徹に繰り広げる剥き出しの強さが、ビッグネームとの対戦を遠ざけてしまったのです。
「最強を証明したい」というのはあらゆるボクサーに共通する夢です。しかし、ビッグネームになると「それは大きな舞台でなければならない」という思いが強くなります。
それは、プロモーターにとってはもっと重要で切実な問題です。
恐ろしいほど強いが、商業的価値は恐ろしいほど低い…。そんな相手と誰が戦いたいと思いますか?
上質な技術と破格の強打を併せ持つ、リングの上ではどこまでも残酷なカザフスタン人と低報酬でも戦いたいボクサーが いるとしたら、GGGよりもはるかに無名で、はるかに商業的価値の低いボクサーたちだけです。
最初に拠点を置いたドイツでは、WBA王者フェリックス・シュトルムがスパーリングすら拒否するほどあからさまな逃避を繰り返し、その噂=GGG注意報=は世界中に広まっていました。
初めて世界タイトルを手にしたのは2010年8月14日、ミルトン・ヌネスを初回で破壊したWBA暫定、28歳のとき。
米国でも欧州でもない僻地で行われた試合でしたが、その動画はミドル級のトップボクサーを抱える世界中のプロモーターを恐怖のどん底に叩き落します。
当時30歳のヌネスは無名のコロンビア人でしたが、地域タイトルも獲得して戦績は21勝19KO1敗1分。
「GGGが強いのはわかってるが、どれだけ強いのかを測るには絶好のテスト」と見られていたヌネス戦の内容は「まだ強さの底が見えない」という次元のものでした。
そして〝注意報〟は、接触禁止の〝特別警報〟レベルに引き上げられ、世界中にサイレンが鳴り響きます。
世界ミドル級はGGGのWBAを結界で囲む、奇妙な戦線が形成されてしまうのでした。
最も価値のあるリング誌王者とリネラル王者はWBCのセルヒオ・マルチネスからコット、カネロとリレーされましたが、本当に強いのが誰であるかは誰の目にも明らかでした。
ゲンナディ・ゴロフキンというミドル級王者が地球上に存在していないかのように、コットやカネロが卑劣なキャッチウェイトでリング誌とWBCの防衛戦を続けたのは、2010年代のボクシングシーンで最も醜悪な光景の一つです。
戴冠から7年間、対立王者を抱えるプロモーターの間でGGGは死神のように忌避されることになります。


コメント
コメント一覧 (3)
ボクシングファンからはネガティブに捉えられることが大半でしょう。
ですが、もしWBAが愚かな暫定王者決定戦を企図しなければ
GGGはプロボクサーとして陽の目を見ることなく
今頃は故郷で子供たちにボクシングを教える日々だったかもしれませんね。
いったい何が正解なのか?
良くわかりません。
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
ファンとしては悲しいです。
カネロ戦も無理矢理ドローにされ怒り狂うレベルかと。
もう39歳なので納得行く終わり方をしてほしいですね。
フシ穴の眼
が
しました