リング誌電子版6月5日から。

この記事だけでは、バンタム出戻りで規律ある生活に改めたように誤解されますが、現実はもっと以前、第1期バンタム級時代です。

また、ドネア再生の最大の功労者は妻レイチェルではなく…おそらくビクター・コンテです。

父ドネアとレイチェルに深い確執があったことにドネアが悩み続けていたのも有名な話です。


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NONITO DONAIRE WINS A WEIGHTY PROPOSITION TO THE HALL OF FAME ノニト・ドネアは体重管理の問題を乗り切って殿堂入りの道を突き進む。
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ドネアはスピードと技術が無い、そしてこの階級ではパワーも無い。ダウンは食ったがやはりパンチはなかった。余裕のある試合だったから何発かいいパンチを入れたはずだが、私のキャリアで打たれ強さだけはトップクラス」と実は強打者のリゴンドーも驚いたのはドネアのアゴの頑丈さでした。

2012年のFighter Of The Yearに輝いたノニト・ドネアは燃え尽きていた。

妻のレイチェルは「あの頃、ノニトは難しい問題に囲まれていた。もうリングに上がりたくないと考えていた気がする」と回想しています。

ドネアも「西岡利晃との戦いに勝利して目的を見失っていた。ホルヘ・アルセとはビッグファイトだったから試合を受けたが、勝ってもスッキリしなかった。ギレルモ・リゴンドー戦は高額の報酬が約束されていたからリングに上がった」と、純粋な情熱を失っていました。

リゴンドーとの大勝負に敗れたフィリピーノ・フラッシュは輝きを失い、長い低迷のトンネルに迷い込みます。

しかし、WBSSへの参加という意外なアクションからトンネルの出口が見えてきます。

優勝オッズ33倍という大穴扱いだったドネアは幸運に見える勝利を重ねて、日本のモンスターと絶望的なオッズと予想の中で決勝戦を戦い抜いたのです。

「井上尚弥と戦うことで、失っていた情熱に再び火が灯った。そして、今回のノルディーヌ・ウバーリ戦で、私がどういうファイターなのかを世界にだけでなく、自分自身にも証明できたはずだ」。

かつてのドネアは、試合の間に肉体を膨らませ、試合に向けて過酷な減量に耐える、現代ボクサーの典型でした。

2007年7月、世界がノニト・ドネアを目撃したIBF/IBOフライ級王者ビック・ダルチニアン戦。

あの頃、PFPファイターを大番狂わせで沈めたフィリピン人は、試合後に暴飲暴食するのが常でした。

腹回りに掴めるほどの脂肪がつき147ポンドまで太ったことまでありました。

Yeah, I was 'Philipino Fats

「そう、Philipino Flashは試合が終わるとPhilipino Fats(フィリピンのデブ)になっていたんだ」。

アイスクリーム、ドーナツ、ピザ、タコス…食べたいものは手当たり次第に口に突っ込みました。大好物は全てのアジア人がそうであるように、コメ。

膨張した肉体を、試合に向けたキャンプが始まると必死に削る作業に苦しめられました。若い頃は、驚異的な新陳代謝でなんとか体重を作ることができました。

それでも、対戦相手だけでなく、痙攣や関節の痛みといった過酷な減量の副作用とも戦わなければなりませんでした。

テコンドーで黒帯4段の実力者レイチェルは、暴飲暴食と過酷な減量を繰り返すドネアを見て「一体何をしているんだろう」とその体重管理に疑問を抱きます。

レイチェルは、オールドスクールのランニングを好むのも納得できませんでした。減量でデリケートになっている肉体を、固いアスファルトの上を長時間走らせるなんて自殺行為です。

3分間拳を振るい合うリング上のスタミナは、マラソンで培えるものではありません。

ドネアはレイチェルのアドバイスを受け入れ、スプリント走を重視して速筋を鍛えなおしました。

「足は格闘家にとってエネルギーの源。それなのに骨と皮だけの細い足のボクサーがなんと多いことか!」(レイチェル)。

ジュニアフェザー級にあげたドネアには明白な劣化と限界の兆しが見えていましたが、まだ勝ち続けていました。〝格闘家夫婦〟はときに喧嘩もしながら議論を重ねて、最善の道を模索していきます。

「最も難しかったのは練習メニューではなく、コメ中心のフィリピン料理から離れること。食べるものに苦労した幼い頃の記憶もあるのかもしれないけど、ほっておいたら3食すべてコメを食べてしまうほど大好きだから」(レイチェル)。

試合直前に肉体を削るのではなく、普段から節制して体重を整えておくこと。口論は絶えませんでしたが、彼らのテーマは一致していました。

WBSSという定期的な試合が約束されたトーナメントへの参加は、神のご加護でした。このようなトーナメントで決勝まで戦い続けるには、短い期間で118ポンドに落とせる規律ある体重管理が必要不可欠だったのです。

「ダルチニアン戦のあとに147ポンドまで太った。14年前のことだが、あの頃の私の体内には不健康なゴミがいっぱい溜まっていた。もう私は自分を殺すような減量はしない。130〜132ポンドをキープしながら、試合前のキャンプに入って徐々に落としていく。ウバーリ戦では関節の痛みもなかった」。

ノルディーヌ・ウバーリを4ラウンドで痛烈にノックアウトしたドネアは、自らが持つバンタム級最年長王者の記録を39歳に更新しました。
「もう、ダルチニアン戦のあとみたいにPhilipino Fatsになることはない」。ドネアは笑います。
ウバーリ戦でもアンダードッグ扱いだった38歳のフィリピーノ・フラッシュがまだ階級最強の火力を持っていることが明らかになりました。

今のバンタム級シーンで、ドネアの情熱の炎が最も燃え盛る相手は、たった一人です。




生まれ変わったドネアは、遠い未来のある日、ニューヨークのカナストータの地で殿堂入りの名誉を受けるでしょう。

もちろん、 "Philipino Fats"ではなく、"Philipino Flash "として。

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最後の一文は要りませんね。