お仕事関係の話しって、あんまり詳しく書きたくないものです。
結構、嫌なことも多いから、かなり婉曲して5重くらいにオブラートにくるまないといけません。
まあでも、そこは外せば、いいわけです。
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【ヤングケアラー:Young Carer】ヤングケアラー。家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものこと(厚生労働省)。
聞き慣れない言葉ですが、最強の新聞、ニュースで一気に浸透しました。
私がこの言葉を知ったのは、仕事で関わることになった数年前のことでした。
しかし、そのずっとずっと前から家事や介護につとめる10代がいることは、身近に知っていました。
池江璃花子や松山英樹のように、日本中が沸き立つどっからどう見ても誰もマネの出来ない大偉業をやってのけた人とは違いますが、身近なところにだって立派な仕事を粛々とこなす人がいます。
私の高校時代、陸上競技は全国レベル、柔道は近畿大会レベル、学業は東大レベルという絵に描いたような文武両道の先輩がいました。
それに対して、私はというと不登校・引きこもり、学業最低と真逆でしたが、野球と陸上競技部に所属、先輩とは「兼部」という共通点もあって、可愛がっていただいた思い出に溢れています。
ある日、記録会が天候不良で現地で中止になったことがありました。
「うちの家来る?」。
先輩の家が沿線に近いということで、私も何気なく「えー、おじゃましていいんですか?」とお誘いを受けてしまいました。
大豪邸に手入れの行き届いた広い庭、上品な母親が出迎えてくれて、大企業の役員を勤める父親は海外出張中、天窓から星が見える1人部屋を持ってる…。
そんな勝手な想像は、根底から覆されてしまいました。
そこは、小さな台所に四畳半と六畳間だけの、粗末な長屋の慎ましい部屋でした。
それまでベラベラ話してた私は、普通に話さなきゃいけないと思いながらも、無口になってしまいました。
家には小学生の弟が待ってました。しばらくすると中学生の妹が帰って来ました。
鈍感な私にでも、上品な母親も大企業の役員の父親もいないのは、すぐにわかりました。
母親は腰ほどの高さのパーテーションで仕切られた、狭い六畳間の端っこで寝ていました。
先輩は母親の看病と、妹弟と面倒を一手に引き受けていたのです。
何か言わなきゃ言えないと思えば思うほど、何も言葉が出て来ませんでした。
「私、部活で帰り遅いやんか、でもこの子ら優秀で、ちゃんとご飯温めてお母さんの世話までしてくれるねん」。
私が、なんとか絞り出したのは「先輩、いつ勉強してるんですか?」という、間抜けな質問でした。
先輩はいつもと同じように笑って「あ?もしかしてめっちゃ大変そうって思ぉてる?時間はあるよ。そこそこ大変やけど、授業とか部活でも本当に幸せ感じるねん。こういう毎日があるから、この1分1秒を大切にしようって思えるねん」と答えてくれました。
私は授業にも出ず、自宅や図書館に引きこもり、日長一日映画館に入り浸ったり、好きなように毎日を過ごしていました。
自分とは全く違う生き方をしている人を目の前にして、私は自分がひたすら恥ずかしくなりました。
先輩の印象は「勉強とスポーツが飛び抜けてめっちゃできる人」から「尊敬出来る人」に変わりました。
これからは授業をサボって映画館で日長一日過ごす、なんてとこと、純粋に楽しめそうにないな、とも思いました。
それでも、先輩はそんなこと求めてないのは分かっていました。
逆の立場なら、私みたいな存在は腹が立ってもおかしくないはずですが、私に「何か面白い本はない?」とときどき聞いてきては「本のソムリエやなあ。トラックではヘタレな走りするのに」と笑ってそのまま受け入れてくれていました。

学校が奨励している予備校などの模試の問題を持って来たときは、勉強教えてくれるつもりか?とちょっと余計なお節介やめてくれと思っちゃいましたが、そうではありませんでした。
自分が出来なかった国語や英語の文章題をあろうことか私に聞いてくるんです。
「僕、学年一個下で英語も国語も2か1ですよ、通知表」と断っても、運動部の先輩パワハラ全開で聞いてくるんです。
あとになって、大学時代に家庭教師のバイトをしたり、子供やその友達に教科書や過去問で勉強教えたり、今も野球部の子の宿題とか見てあげてますが、最初の〝生徒〟はあろうことか、スポーツも勉強も〝学校始まって以来の〟で語られた、この先輩でした。
学校の中間・期末試験は全く出来ないのに、大手予備校の模試や、難関大学の過去問は普通に解ける…。そんな、あろうことかなことが起きました。
〝あろうことか〟な現象が続々と起きたのです。
先輩に教えてるうちに「こんな問題で東大とか京大って本当か?きっと他にもっと重要で大きな問題が用意されているに違いない」と信じられない思いでした。
そういうことを先輩に聞くと「英語はこの長文和訳が一番キモや。君の答えは、正答出来なかった私が見ても素晴らしいとわかる」といつもおだててくれました。
それでも大学に行く気はありませんでしたが、この単発的で短い〝授業〟で、私が手当たり次第に乱読していた読書や、スボイラ誌やリング誌、海外の洋画誌を読み漁る中で無意識のうちに培っていた国語力や英語力が、受験用にアダプトされていったのは間違いありません。
自慢話じゃなく、私のような不登校・引きこもりが、成績優秀の自分の知らないことを知ってると、利用価値があると嗅ぎつける能力が普通じゃないと思いました。
そもそも、本人の私が受験英語や国語の学力があることを全く気づいていなかったというのに。
もしかしたら、社会不適応者の私もケアされてたのかもしれません。
間違いなく、先輩は私を〝見つけてくれました〟。
先輩はまさに、ヤングケアラーでした。
高校3年になって大学受験することに決めたのは、先輩が「君はどこの大学でも軽く通る」と背中を押してくれたからでした。
正直、大学なんて行く気もありませんでしたが、先輩の言葉には、勇気づけられたというよりも、この人に言われたら、受験するしかない、もう合格するしかない、冗談じゃ済まないと追い込まれた気分でした。
私の中では、この先輩は永遠の尊敬の対象です。
そんな人と、高校時代に出会えたことは、本当に幸運でした。
あの頃、すごい人がいるなあと感動しながら見上げた先輩は、当時はそんな言葉はありませんでしたが、まさしくヤングケアラーでした。
もちろん、運動部の先輩です。暴力は手加減してくれてましたが、結構面倒なことも色々ありました。
全部、良い思い出です。大学時代もそうですが、なんだろう、運動部って最高です。

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