アジアから世界に向けて放たれた最初の矢は、【フィリピン発】でした。

フライ級史上最強の誉れ高いジミー・ワイルドを攻め落としたアジア人初の世界王者、フライ級のパンチョ・ビラ。 

そして、ヘンリー・アームストロングの大偉業・4階級制覇を阻んだ、やはりアジア初の世界ミドル級王者セフェリノ・ガルシア。

何ということか、彼らは最初から敵地に乗り込み、掠奪の限りを尽くすパックマンだったのです。
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母国に市場がない。

そのことが、少しでも豊かになるためには〝出稼ぎ〟に走らなければならない。

そんな事情が、フィリピンの逞しいボクサーの源流です。彼らは「アウェー」 に対する恐れも、被差別者であることへの卑屈も、微塵も持っていません。

「アウェー」なんて、そもそもが「ホーム」とセットの言葉です。 事実上「ホーム」がない彼らには「アウェー」もないのでしょう。
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パンチョ・ビラvsジミー・ワイルド(1923年6月18日)が行われたのはニューヨークはポログラウンズ。詰め掛けた観客は2万3000人と伝えられています。

フライ級の興行で2万3000人が集まったのです。
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前座はバンタム級とフェザー級の試合ですから、HBOの「スーパーフライ」みたいなものですが、注目度は桁違いだったのでしょう。

もちろんヘビー級のタイトルマッチとは比較にならなかったでしょうが、世界王者の希少価値が確かに存在していた時代です。

そして、セフェリノ・ガルシアはアームストロングのウェルター級タイトルに挑戦した1938年には敗れたものの、2年後にミドル級王者として迎えた再戦ではドロー防衛。
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ガルシアが薄氷でつかんだ防衛戦が行われたのも巨大スタジアム、キルモア・スタジアムでした。

アジアの第一風は、フィリピンの出稼ぎ魂によって米国に届けられたのでした。