ボクシングは最も番狂わせが起きないスポーツの一つです。
ボクシングは〝仕組まれた〟スポーツという一面を持ちます。
ボクシングは〝仕組まれた〟スポーツという一面を持ちます。
仕組む側は自分に有利な条件を突きつけてきます。仕組まれた側は、世界を敵に回して戦わなければなりません。
野球やサッカーのリーグ戦はホーム&アウエーが基本です。オリンピックやテニスの四大大会はあらかじめ決められた約束の場所にアスリートが集い決着をつけます。
野球やサッカーのリーグ戦はホーム&アウエーが基本です。オリンピックやテニスの四大大会はあらかじめ決められた約束の場所にアスリートが集い決着をつけます。
しかし、カネロ・アルバレスやマニー・パッキャオは決してアウエーのリングに上がりません。カネロに至っては一度もアウエーで戦ったことがありません。
フロイド・メイウェザーはついに一度も米国を出て戦うことはありませんでした。
マニー・パッキャオはスターダムを極める前は〝仕組まれる〟側、世界中を敵に回して戦わなければならない崖っぷちのファイターで、マルコ・アントニオ・バレラ戦は咬ませ犬の扱いでした。
モハメド・アリは世界初挑戦となるソニー・リストン戦では「殺される」と決めつけられ、再戦でもオッズと予想は不利でした。しかし、アリが世界を敵に回したのは徴兵拒否とイスラム教への改宗という自身の行動の結果でした。
もちろん、彼らはそんな「世界が負けると決めつけた」大勝負に快勝し、ジョージ・フォアマン戦とオスカー・デラホーヤ戦というファンですら「絶対ムリ」と白旗挙げた試合で衝撃的な勝利を収めるのです。
一方で、才能だけなら二人に劣らないと言われたマイク・タイソンはチームからテディ・アトラスが抜けると、暗愚なケビン・ルーニーらの画一的でその場しのぎの指導により、ボクシングスタイルは欠陥が修正されることはなく、ついに未完成のままでした。
そして、本人の精神的な脆弱さもあって番狂わせは一度も起こせず、その評価は右肩下がりでキャリアを閉じました。
タイソンにもアンジェロ・ダンディやフレディ・ローチのような名伯楽が付いていれば、イベンダー・ホリフィールドやレノックス・ルイスに無残にノックアウトされることなく、勝利を収めていたのでしょうか?
タイソンは自ら崩壊したといわれています。もちろん、その通りでしょう。ルーニーに代表される低能トレーナーやイエスマンが、彼の崩壊を加速させたのも事実です。
しかし、アリやパッキャオと違って、世界はいつもタイソンの味方でした。タイソンは世界を敵に回したことは、実はありません。少なくとも凶悪な犯罪行為や反則を繰り返して見放されるまでは。
世界中を敵に回していたはずのアリとパッキャオが、ときにはそれを楽しんでいるかのように振舞っていたのに対して、生ぬるい恵まれた環境にいたタイソンがいつも何かに怯え、苛つき、ノイローゼまで患っていたのは、何故でしょうか?
アリとパッキャオが強くてタイソンが弱い人間だから、それだけの理由でだったのでしょうか。
もともとタイソンは強い人間じゃなかった。確かにそれも事実です。しかし、本当にそれだけでしょうか?
アリを生涯〝取り巻いた〟ドリュー・ブンディーニ・ブラウンは、見かけはタイソンの取り巻き連中と全く同じ、大声をあげて周囲を睥睨する太鼓持ちに過ぎません。
そして、今でもなお、ブンディーニのようなcolleaguesやentourage(取り巻き連中)の輩はlackey(お調子者の太鼓持ち)以上の存在でないと多くの人が決めつけています。
He was more than a lackey. Bundini’s contributions to Ali’s legacy were both motivational and stylistic. The poetic side of Ali’s prefight routine was taken to new heights when Bundini joined the fray. Few people know that it was Bundini who coined Ali’s legendary catchphrase, “Float like a butterfly, sting like a bee.”
しかし、ブンディーニはタイソンの取り巻き連中と違って、こそこそと行動することはなく、堂々とカメラの前でアリと渡り合いました。
彼は、ただの太鼓持ちではありませんでした。
もともとアリには詩人の素質がありました。プロレスラーのゴージャス・ジョージとのラジオ対談でセルフプロデュースにインスパイアされますが、その言動が単なるトラッシュトークの域を超越するのは、ブンディーニが取り巻きに加わってからです。
例えば、多くの人は“Float like a butterfly, sting like a bee.”(蝶のように舞い蜂のように刺す)をアリが作った名言だと思っていますが、事実はブンディーニの作詞〝作曲〟です。
モハメド・アリはセルフプロデュースの天才ですが、ソロ作品ではあそこまで至高の完成には届かなかったでしょう。
ブンディーニとのデュエットによって、のちにラップミュージックを生み出す種となるほどの詩を謳うことができたのです。
おそらく、アリにとって数々の名作の歌は、世界と戦う前の士気を高める鬨の声でした。
いいえ、よく聞き直してみるとそれは違います…。あれは、もう勝った、勝利を収めたという凱歌に近い預言の歌だったことがよくわかります。
もしかしたら、アリは世界と戦って勝ったのではなく、戦う前にすでに勝利を噛み締めていたのです。それなら、なるほど、世界が怖くないはずです。
パッキャオの〝取り巻き〟ボボイ・フェルナンデスは、どう贔屓目に見てもブンディーニほどの魔力は持ち合わせていません。
しかし、母国フィリピンでの凱旋では常に観衆とパッキャオを鼓舞してきました。2009年、ミゲール・コット戦を控えたパッキャオは母国が甚大な台風被害を受けたことで渡米のスケジュールを延期、被災地を慰問したことがありました。
「マニーが励ましに来たぞ!台風になんか負けるな!」。そう繰り返すボボイの声が火を点けたかのように、パッキャオも叫びます。
「また米国に行かなければならないが、絶対に勝つ!だからみんなも負けないで!絶対に勝つから!」。
コット戦前に報道されたCNNの特番で見たパッキャオは何かが取り憑いているようでした。
被災して打ちひしがれている人は地響きのような歓声をあげますが、見てる方は「これ、負けたらどうなるんだ?」という心配ばかりが膨らみました。
アリとパキャオのように、大勝負を前にしたタイソンも威勢は良かったものの、それは敗北の恐怖にパニック障害を起こしているだけでした。
タイソンは、アリと同じようにイスラム教に改宗しましたが、マリク・アブドゥル・アシスというイスラム名は、まず口にしません。おそらく、アリにとって数々の名作の歌は、世界と戦う前の士気を高める鬨の声でした。
いいえ、よく聞き直してみるとそれは違います…。あれは、もう勝った、勝利を収めたという凱歌に近い預言の歌だったことがよくわかります。
もしかしたら、アリは世界と戦って勝ったのではなく、戦う前にすでに勝利を噛み締めていたのです。それなら、なるほど、世界が怖くないはずです。
パッキャオの〝取り巻き〟ボボイ・フェルナンデスは、どう贔屓目に見てもブンディーニほどの魔力は持ち合わせていません。
しかし、母国フィリピンでの凱旋では常に観衆とパッキャオを鼓舞してきました。2009年、ミゲール・コット戦を控えたパッキャオは母国が甚大な台風被害を受けたことで渡米のスケジュールを延期、被災地を慰問したことがありました。
「マニーが励ましに来たぞ!台風になんか負けるな!」。そう繰り返すボボイの声が火を点けたかのように、パッキャオも叫びます。
「また米国に行かなければならないが、絶対に勝つ!だからみんなも負けないで!絶対に勝つから!」。
コット戦前に報道されたCNNの特番で見たパッキャオは何かが取り憑いているようでした。
被災して打ちひしがれている人は地響きのような歓声をあげますが、見てる方は「これ、負けたらどうなるんだ?」という心配ばかりが膨らみました。
アリとパキャオのように、大勝負を前にしたタイソンも威勢は良かったものの、それは敗北の恐怖にパニック障害を起こしているだけでした。
「イスラム名を使うメリットが少ない。信仰は心の中で生きているから意味がある」。
タイソンの言葉で、全てが氷解したような気分になりました。
タイソンは心の中の本当の自分を晒け出してまで世界と戦う気は無かったのです。
アリとパッキャオがあたかも楽しんでいるかのように自分を晒け出して世界に挑みかかったのとは対照的でした。
もっと正確に言うと、タイソンには心の中に潜む本当の自分を引き出してくれるcolleaguesと、ついに巡り逢うことができなかったのです。
1987年9月3日、ブンディーニはロスアンゼルスのモーテルの階段で倒れているところを発見されます。
泥酔して階段から転げ落ちたと言われていますが、真偽は明らかではありません。
ブンディーニは救急車で病院に搬送されますが、頭部と脊髄に重傷を負って全身麻痺の状態でした。
ブンディーニが亡くなる1週間前、かつての取り巻き連中のビクター・セラノとハワード・ビングハムを伴ってアリが病院を訪れました。
医師からは「容体は悪い。最悪の場合を覚悟するように」と告げられます。
アリの到着に気づいたブンディーニは薄眼を開けますが、体は動かせません。
ブンディーニの左耳に口を近づけたアリは、静かに囁きました。
「具合が悪そうだな?」。
アリはブンディーニの額に浮かんだ汗をタオルで拭き取り、微笑みました。「まさか俺がお前の汗を拭く番が来るとはな」。
ブンディーニは爆笑したかったはずですが、顔を引き攣らせるだけでした。
「お前はきっと天国に行けるだろう。俺もそのうちそっちに行くさ」。
「もうすぐジャック・ジョンソンやロッキー・マルシアノ、偉大なファイターに会えると思うと、少し羨ましいぜ。待ってろよ、最も偉大な俺がそこに行くのを楽しみにしてろ」。アリの声は悲しみで震えていました。
When you get up there, you’re gonna see Jack Johnson, and Rocky Marciano, and all them great fighters up in heaven. And one day you are going to see me,” Ali continued, his voice shaky.
アリは自分の手で生涯の相棒の頬を包み込みます。ブンディーニが涙を流し出すと、アリは彼の髪を優しくかきあげました。
「ドリュー、俺の声が聞こえるか?」。
ブンディーニはその目で「はっきり聞こえている」と返事します。
アリは囁き続けます。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す…戦え、若人よ、戦え」
“Float like a butterfly, sting like a bee. … Rumble young man, rumble,” Ali said, before adding the trademark ending to the slogan.
ブンディーニの耳元で2度、繰り返すと、アリは静かに病室を去りました。
ブンディーニは9月24日に息を引き取ります。
1987年9月24日。この日は、きっとモハメド・アリにとっての〝終戦記念日〟でした。
6年後、アリは米国政府とIOCの依頼されたアトランタ五輪の聖火リレー、その最終ランナーの役目を引き受けます。
反体制のシンボルであったアリが政府の宣伝活動に協力したことは一部のファンから「失望した」と非難を浴びましたが、もうアリには世界と戦う理由も手段もなかったのでしょう。
敵か、味方か。太鼓持ちか、モチベーターか。信頼できる相棒か、油断の出来ないハイエナか。
colleaguesなのか、卑しいlackeyなのか。
アリはブンディーニがいなければ、アリたりえなかったでしょう。
それにしても。
心の中に潜む本当の自分を引き出してくれて、世界を敵に回しても怖くない、そんな〝ブンディーニ〟を持つ人がどれだけいるでしょうか。
あなたにとってブンディーニとは誰ですか?
タイソンの言葉で、全てが氷解したような気分になりました。
タイソンは心の中の本当の自分を晒け出してまで世界と戦う気は無かったのです。
アリとパッキャオがあたかも楽しんでいるかのように自分を晒け出して世界に挑みかかったのとは対照的でした。
もっと正確に言うと、タイソンには心の中に潜む本当の自分を引き出してくれるcolleaguesと、ついに巡り逢うことができなかったのです。
1987年9月3日、ブンディーニはロスアンゼルスのモーテルの階段で倒れているところを発見されます。
泥酔して階段から転げ落ちたと言われていますが、真偽は明らかではありません。
ブンディーニは救急車で病院に搬送されますが、頭部と脊髄に重傷を負って全身麻痺の状態でした。
ブンディーニが亡くなる1週間前、かつての取り巻き連中のビクター・セラノとハワード・ビングハムを伴ってアリが病院を訪れました。
医師からは「容体は悪い。最悪の場合を覚悟するように」と告げられます。
アリの到着に気づいたブンディーニは薄眼を開けますが、体は動かせません。
ブンディーニの左耳に口を近づけたアリは、静かに囁きました。
「具合が悪そうだな?」。
アリはブンディーニの額に浮かんだ汗をタオルで拭き取り、微笑みました。「まさか俺がお前の汗を拭く番が来るとはな」。
ブンディーニは爆笑したかったはずですが、顔を引き攣らせるだけでした。
「お前はきっと天国に行けるだろう。俺もそのうちそっちに行くさ」。
「もうすぐジャック・ジョンソンやロッキー・マルシアノ、偉大なファイターに会えると思うと、少し羨ましいぜ。待ってろよ、最も偉大な俺がそこに行くのを楽しみにしてろ」。アリの声は悲しみで震えていました。
When you get up there, you’re gonna see Jack Johnson, and Rocky Marciano, and all them great fighters up in heaven. And one day you are going to see me,” Ali continued, his voice shaky.
アリは自分の手で生涯の相棒の頬を包み込みます。ブンディーニが涙を流し出すと、アリは彼の髪を優しくかきあげました。
「ドリュー、俺の声が聞こえるか?」。
ブンディーニはその目で「はっきり聞こえている」と返事します。
アリは囁き続けます。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す…戦え、若人よ、戦え」
“Float like a butterfly, sting like a bee. … Rumble young man, rumble,” Ali said, before adding the trademark ending to the slogan.
ブンディーニの耳元で2度、繰り返すと、アリは静かに病室を去りました。
ブンディーニは9月24日に息を引き取ります。
1987年9月24日。この日は、きっとモハメド・アリにとっての〝終戦記念日〟でした。
6年後、アリは米国政府とIOCの依頼されたアトランタ五輪の聖火リレー、その最終ランナーの役目を引き受けます。
反体制のシンボルであったアリが政府の宣伝活動に協力したことは一部のファンから「失望した」と非難を浴びましたが、もうアリには世界と戦う理由も手段もなかったのでしょう。
敵か、味方か。太鼓持ちか、モチベーターか。信頼できる相棒か、油断の出来ないハイエナか。
colleaguesなのか、卑しいlackeyなのか。
アリはブンディーニがいなければ、アリたりえなかったでしょう。
それにしても。
心の中に潜む本当の自分を引き出してくれて、世界を敵に回しても怖くない、そんな〝ブンディーニ〟を持つ人がどれだけいるでしょうか。





コメント
コメント一覧 (2)
フシ穴の眼
が
しました
選手の成し遂げた実績でしょうか?
その取巻き個人の品格 の問題でしょうか?
チームとしての最終的な大望の差でしょうか?
それとも単なるウェイトの違い?
当該スポーツへのリスペクトの差でしょうか?
一体なんなのでしょう?
かくいう私も史郎や亀田兄弟は大嫌いです。ハッキリとしているその答えの原因を理論的に探そうとしましたが、よく分かりませんでした。
フシ穴の眼
が
しました