【ビッグバンは怪物狩りに】将軍はどうして着弾ゼロに終わったのか?【成功出来るのか?】=日本一への第1章= との並行進行企画。

モンスターとネクストモンスターの視点からーーー今回はモンスターです。

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ーーー対戦相手の質が低いことを差し引いても、井上尚弥が21世紀、いや4-belt eraで日本最高のファイターであることは誰もが認めるところです。

そして、おそらくJBC発足以来の日本ボクシング史上でも、最高という見方も出来るかもしれません。

一方で、日本では具志堅用高よりも評価が低いファイティング原田ですが、世界的には日本史上最高とみられています。

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   ⬆︎リング誌の1960年代PFPトップテン。


もし、1960年代にPFPランキングがあれば、原田はエデル・ジョフレとの初戦に勝利した1965年5月18日時点で少なくともPFP10傑に復帰(1団体8階級時代にフライ級でUndisputed championになった時点でもPFP入りしていた可能性があります)。

そして、再戦でも返り討ちにした1966年5月31日でPFP1位になっていたのは、まず間違いありません。

1968年2月27日にライオネル・ローズにバンタム級のUndisputed championの座を追われるまで、3年近くもPFP1位を守っていたはずです。

もちろん、妄想ランキングなど突け入る隙のなかったオリジナル8の時代にPFPランキングなんて発想はありません。

それでも、リング誌が後年、作成した1960年代PFPではジョフレが1位、原田は5位。後世、2020年代が総括されるとき、井上は5位以内に入れるでしょうか?

2020年代はまだ折り返したばかり。井上はすでにPFP1位の在位期間でオレクサンデル・ウシク、カネロ・アルバレス、テレンス・クロフォード、ローマン・ゴンサレスに大きく水をあけられて5位。

このあとの〝2020年代後半戦〟でも5位をキープできるでしょうか?

現在のようにインターネットが地球を小さくした時代なら、ジョフレはもちろん、極東の狂った風車もFighter of the year に輝いていたと考えるのが自然です。

もちろん、原田は時代に恵まれました。1960年代、世界で戦う日本人を応援できるのはプロボクシングだけ。日本国民の意識における世界タイトルマッチのステイタスは、現代のサッカーW杯と比較しても遜色のないものでした。

もし、原田が現代に生まれていたらフライ級ではなくジュニアフライ級で穴王者を狙ったでしょう。井上がそうしたように。もしかしたら、無理やりストロー級で世界を狙ったかもしれません。

そして、フライ、ジュニアバンタムと複数階級でアルファベットタイトルをピックアップ。

バンタム級のジョフレから対戦オファーを受けても「縁がなかった」とスルーしていたかもしれません。

しかし、現実では原田は幸運でした。

WBAとかWBCの糞アルファベット団体が増殖し、軽量級が醜悪に細分化される直前の時代。ボクシングが最高の国際スポーツとして抱きしめられていた時代。

そして、エデル・ジョフレがいた時代。

後世も、原田は「あのジョフレに勝った」と世界中で語り継がれているでしょう。

はたして、井上は「あのオマール・ナルバエスに勝った」「あのスティーブン・フルトンに勝った」と尊敬されているでしょうか?

しかし、運から見放された井上のキャリアで「あの」の冠詞で語ることができる対戦相手が、ついに現れました。

その「戦うべき相手」(大橋秀行)もPFPファイターですが、井上同様に対戦相手の質は高いとは言えません。

互いにとってキャリア初のPFPファイターとの対決。もちろん、キャリア最強の相手。

もはや、くだらない認定団体が売りつけるガラクタベルトを集める4団体統一など、どうでも良いと思っているのは私だけではいでしょう。

マニー・パッキャオやフロイド・メイウェザーが突き進んだ、ビッグマッチ路線。世間が注目する試合、報酬がでかい試合、それだけを卑しくも神々しく追求した彼らを、ちょっとだけ倣ってみましょうか。